Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

2010年 11月 10日 ( 1 )

ナイーヴとセンチメンタル―ヴェルディとワーグナーの音楽をめぐって

昨日の記事は、けっしてそういう意味で書いたわけでもないが、「センチメンタル」と「シラー」の連想から、シラー(1759-1805)が書いた美学論文(芸術論)のタイトルを思い出した。すなわち『素朴文学と情感文学について』(原文:Über naive und sentimentalische Dichtungen, 1795)。読んだかどうかは思い出せないが、非常に印象的なタイトルであることは間違いない。
そこでネット上を検索してみると、いくつか興味深い関連記事がみつかった。たとえば、「美学キーワード事典」によると「このシラーによって用いられた「情感的」(sentimantalische)という語は、今日における「感傷的」という意味での「センチメンタル」という形容詞の「端緒」となっており、我々が用いる「センチメンタル」の内容は、まさにシラーによって語られた意味合いを十全に含んでいるのである。」とある。
しかし、さらに興味深い記事がある。シラーの芸術論に基づき、それを発展させたアイザイア・バーリン(1909-1997)という思想家が書いたヴェルディに関する論文に言及した記事。すこし長いが引用されている箇所を転載させてもらう。
 もちろん(偉大な芸術を創り上げた)、一人の天才がどのような人物であったか、彼が感じたのはどのようなことであったかについてのあらゆる知識は興味深いものであろう。だが、それは必ずしも(ナイーヴな芸術家の作品においては)本質的なことではないかも知れない。しかしながら、問題は、そのようなことが偉大なる「情感(センチメンターリッシュ)派」の巨匠たちの場合は本質的な意味を持つということである。
 (専制政治を憎み、万人による民主制を愛した)ベートーヴェンが専制政治についてどのように感じていたかを理解していない人は、「英雄交響曲」や最初の偉大なオペラである「フィデリオ」を十分に理解しえないであろう。19世紀ロシアの重要な社会運動について知らない人は、ムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドノフ」や「ホヴァンチナ」を理解できないであろう。シューマンの音楽的見解、ワグナーの神話学、ベルリオーズの抱いていたロマン主義理論はこれらの(センチメンタルな)音楽家の作品を理解するために欠かすことはできない。
 しかし、(偉大なナイーヴの芸術家である)シェークスピアの史劇の理解のためには、彼の政治観を知る必要はないのである。それは理解の助けにはなるかもしれないが、なくてはならぬものではない。そのことは(ナイーヴな音楽家の)ヴェルディについても同じである。
 人間の基本的な情熱――父性愛、人間性を喪失した社会で人間が人間を辱める行為に対して抱かれる心からなる憎悪、こういったものを理解できる人なら誰でも、(ヴェルディの歌劇)「リゴレット」を理解しうるのである。また、嫉妬によって自暴自棄になった英雄の心理に洞察をもつことのできる人なら、「オテロ」(シェークスピア「オセロ」のオペラ版)を十分よく理解できるであろう。音楽外的な準備としては、実際、(ナイーヴな芸術家の作品を鑑賞するには)人間の基本的な情熱について知識を持っているだけで、ヴェルディの作品を理解するためには十分である。(中略)
 (ナイーヴな作品は)その真価を知るために必要不可欠な条件として、作曲家の個人的見解や属性についての知識、あるいは彼の生活や彼の社会の歴史的背景についての知識が求められるということはないのである。このようなことが彼(ヴェルディ)について必要でないというのは、バッハ、モーツァルト、ロッシーニ、また、シェークスピア、ゲーテ、ディケンズについてと同じである。(中略)
 今日、もっとも普通の聴衆にも、最も洗練された聴衆にも、同じように大きな人気をヴェルディが得ているのは、彼が(人性としての)永久不変の心理状態をもっとも率直な言葉で表現したという事実なのである。それは、ホメロス、シェークスピア、イプセン、トルストイが為したと同様のことなのである。これこそシラーがナイーヴと名づけたものなのである。
(バーリン「ヴェルディの素朴さ」「バーリン選集第一巻」より)

by ka2ka55 | 2010-11-10 23:20 | | Comments(0)