Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

考察:釣魚(つり)はスポーツであるか否か(2)

一方、西洋では、『何羨録』(1723年)が書かれる70年前(1653年)にイギリスの随筆家で伝記作家のアイザック・ウォルトン(Izaak Walton, 1593-1683)によって『釣魚大全』("The Complete Angler")が著されています。
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原書の初版本奥付(左)/邦訳初版本(右)

これにはもちろん邦訳があり、1970年(昭和45年)に発行された初版第壱刷本(虎見書房刊)を最近入手しました(上記参照)。翻訳は評論家の森秀人(1933-2013)。Wikipediaの記事には「本名は秀男(演劇評論家の森秀男とは別人)。1958年、三一書房の評論募集に入選。1963年、30歳の若さで『思想の科学』編集長に就任。月刊『七宝芸術』編集長ののち、評論活動に専念する。当初は沖縄自立論を唱え既成左翼の「祖国復帰」論を厳しく批判する新左翼の論客であったが、現在は『釣魚大全』を翻訳した釣り師として一部で知られる存在である。考古学・民俗学・釣りなどの著書がある」とあります。
本文にざっと目を通した限りでは、たしかに興味深い内容なのですが、巻末に記載の「訳者解題」(pp.539-547)も本考察にとって大いに参考になることが書かれています。そこで、全文引用したいほどなのですが、そういうわけにもいかないので少し引用します。
 かつて釣魚は、子供と老人の遊戯であった。すなわち、無邪気な童(わらべ)の漁への本能と、無用の老人の自慰への欲求が、魚と向き合っていたのである。
 現代では、釣人口の圧倒的多数は、働きざかりの男性であり、そのために釣場を追われる子供と老人さえでてくるという時代となった。なぜ、現代人はかくも釣魚に熱中するのか。表面的な理由はいくつか数えあげられる。いわく、生活の多忙化。いわく、経済社会からの逃避。いわく、豊かさの反映。いわく、規格時代への反逆……。(p.539)
(中略)
 まったくの話、釣魚を単なる子供の遊びとか老人の隠居道楽でしかないと考えるひとびとは不幸である。私見によれば、釣魚は現代においては狩猟そのものであり、狩猟よりもはるかに難しい技術であり、考える遊戯の最高のものなのだ。(p.542)
(後略)

by ka2ka55 | 2018-01-13 06:00 | 釣魚 | Comments(0)