Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

考察:釣魚(つり)はスポーツであるか否か(1)

「釣り」というのは正しい表現なのですが、ネット上でこの表現を使うと別の意味にとられる可能性がないわけではなく、純粋に魚を釣る意味での釣りを明示的にするために、今後、原則として「釣魚」という表現を使用します。

ところで、「釣魚(つり)はスポーツ?」と聞かれたことがあり、いささか返答に困ったのですが、敬愛する釣人の一人は「釣魚はスポーツではなく遊び」と明言しています。 ちなみにスポーツの定義は「一定のルールに則って営まれる競技のこと」とされ、釣魚にもじっさいに数々の競技が開催されていますから、その場合にはスポーツの一種とみなされるかもしれません。しかし、私が近所の川や用水路で小魚を釣っている場合は、何かルールがあるわけでも誰かと競っているわけでもなく、ただ楽しみとして釣りをしているにすぎず、まさに「遊び」でしかありません。
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その遊びもしくは趣味としての釣魚について日本で書かれた最古の専門書は、約300年前の享保8年(1723年)に陸奥国黒石3代当主・津軽采女(うんめ)(津軽政兕、1667-1743)によって書かれた『何羨録(かせんろく)』と言われています。これは手書きの書物で版本になっておらず、現在確認されれているのは6冊のみで、そのうちの1冊が中央水研のデジタルアーカイブに収録されていて全文を読むことができます(上記参照)。
しかし、読めると言っても一部は漢文で書かれていることもあり、ドイツ語を読むより難しいと言えなくもありません。Wikipediaには同書の序文の最後の一文(上の赤で示した箇所)が書き出されて「意訳」が付されているので引用します。
嗚呼、釣徒の楽しみは一に釣糸の外なり。
利名は軽く一に釣艇の内なり。
生涯淡括、しずかに無心、しばしば塵世を避くる。
すなわち仁者は静を、智者は水を楽しむ。
あにその他に有らんか
(意訳)
釣り人の楽しみはやはり“釣果”に尽きるだろう。
社会的名誉は重要ではない。いま、自分の世界はこの釣り船の中が全てであり、完結している。
だが生きていくとそれだけで、どうしてもなにかと煩わしい。難しいもので。
だから自分は時々、そんなことは忘れることにしている。
つまり
仁(この場合は慈悲や憐憫)の心を持つ者は心静かであることを楽しみ、
智恵のある者は水に楽しむ(釣り)のだ。
これほどの楽しみがあるだろうか。


by ka2ka55 | 2018-01-10 02:30 | 釣魚 | Comments(0)