Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(11)

▼ドイツから見た日本の取り組み/ハンス・マーティン・クレーマ(その1)
佐藤健生/ノルベルト・フライ編『過ぎ去らぬ過去との取り組み』(岩波書店、2011年)の中に収められているドイツ人研究者(Hans Marthin Krämer, 1972-, ボッフム大日本学准教授、専門は日本近現代政治史)(以下、H.M.クレーマ准教授)の小論文「ドイツから見た日本の取り組み」(pp.229-240)が非常に興味深い内容なので少し引用したい。ちなみに同論文は日本語で執筆されたもので翻訳ではないとのこと(したがって、ドイツ語に翻訳されたタイトルは、「Japanischer Umgang mit der Vergangenheit aus deutscher Sicht」となっているが、これを正確に翻訳すれば「ドイツから見た日本の過去との取り組み」となる)。
 日本の戦争責任に関する日本での言説においては、遅くとも1985年のヴァイツゼッカー演説以来、ドイツでの取り組みがモデルとして一定の役割を果たしている。進歩的な論者は、ヴァイツゼッカーのような保守的な政治家でもオープンに過去の罪を認めるようなドイツの状勢を、日本の目指すべき理想として待望する。ここで考察したいのは、ドイツにおける過去との取り組みを扱った議論の中で、国際比較がどのような役割を果たしているのかという点である。 p.229
このような書き出しで始まる論文のため、相変わらずのヴァイツゼッカー礼賛かと思いきや、いささか違うようである。
 近年のドイツのテレビ・ドキュメンタリー、週刊誌の文芸欄、国際政治に関する新聞報道等において日本の過去との取り組みがどう扱われているかを観察すると、必ず浮かんでくるパターンの一つとして、日本とドイツとの比較という方法がある。しかもこの比較から導かれる結論は決してオープンではなく、ドイツの過去との取り組みが成功であり、日本のそれは失敗したという評価が、常にドイツのメディアにおける一つの大きな前提となっている。
                   (中略)
 大衆向けのメディアでの議論ではないが、日本とドイツとの間の距離を強調するドイツ現代史研究家マンフレド・キッテルの主張によると、戦後日本の第二次世界大戦下の犯罪に対する「不正意識」はドイツのそれと比べて「弱かった」。この弱さを説明するために、キッテルは日本に特徴的な要因を二点挙げている。一つは広島経験に基づいての著しい犠牲者意識」であり、もう一つは「歴史責任の言説が、敗戦の責任を負うレジームの幹部を中心にした」という点である。その「明確な対比」の例としてあげられるのは戦後ドイツの「集団的な羞恥」で、その羞恥の対象は長らくホロコーストよりはナチス政権であったにもかかわらず、結局は、反全体主義のコンセンサスが社会全体に及んだとされる。
 さらに大衆メディアでの例を挙げるならば、たとえばドイツ公共テレビのARDの代表的なニュース番組である『Tagesthemen』は、2005年8月15日小泉総理大臣が靖国神社で参拝しなかったことを報道し、番組司会者がこのニュースを次のように紹介している。「今日は、日本の終戦60周年です。しかしヨーロッパと違って、日本、中国、韓国というアジアの諸国はいまだに和解していません。そして、戦争の歴史に対する日本の克服は、ドイツのそれに到底及んでいないのです」。
 このような紋切り型の議論は枚挙にいとまがない。しかし、ここで検討したいのは、このステレオタイプ的な言論の是非ではなく、むしろステレオタイプそのものの由来を辿ることである。そのようなものがドイツでいつどのようにして出現し、一般的に用いられるようになったのだろうか。このような問題意識の下に検討を深めていくことにしたい。 pp.229-230
(つづく)
by ka2ka55 | 2015-11-08 16:22 | ニュース