ニーチェとマーラー
それはともかく、同事典のマーラーの項目(pp.603-604)を前の記事との関連で引用しておく。
世紀末ウィーンを代表する音楽家の一人であったマーラーは,1896年に発表した「交響曲第3番」の第4楽章でニーチェの『ツァラトゥストラ』の「酔歌」の章の「私は眠った,私は眠った―,/深い夢から私は目ざめた。―/世界は深い,/昼が考えたより深い」という有名な詩句を歌詞に用いている。カール・ショースキーは『世紀末ウィーン』の中でこの詩句を引きながら,マーラーによるニーチェの引用が同時代のウィーンの画家クリムトの「哲学」という絵を想い起こさせるといっている。両者に共通してうかがえるのは,世紀末ウィーンの精神状況の中に浸透していたニーチェ崇拝の影である。それは,後のウィーン表現主義へと結実する世紀末ウィーンの新たな芸術・文化運動の核にあった契機である。マーラーやクリムトが出入りしていたサークルにはウィーンの代表的なニーチェ主義者であったブルク劇場監督のブルクハルトがいたし,マーラー自身当初は自分の「交響曲第3番」を「悦ばしき智恵」と名づけようとしていたくらいであった。世紀末芸術とニーチェ熱の関連という問題圏に,マーラーの音楽もまた位置づけられうる。