Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

ホトトギス:今年の初鳴きは過去十年間で最も早かった(2018年5月12日午前3時45分頃)

Twitterなどには報告済みですが、こちらにはうっかりしてまだでした。タイトル通り当地で今年(2018年)確認されたホトトギスの初鳴きは、昨年(5/21)よりも9日早く(これまで最も早かった2015年の5月13日より1日早い)、記録をとり始めた2007年以来最も早い初鳴きとなりました。今年は桜の開花も早かったようですが、この分だと梅雨入りも早いかもしれません…過去の関連記事:
2017年05-21(今年も本日ホトトギスの初鳴きを聞いた(2017年5月21日午後6時56分頃)
2015年05-13(今年は早くもホトトギスが鳴いた(2015年5月13日午後23時27分頃)
2013年05-15(今年は早くもホトトギスが鳴いた(2013年5月15日午前4時10分頃)
2012年05-22(「調査の報告」の報告)
2011年05-20(RE:あいつがやってきた)
2010年05-19(RE:あいつがやってきた)
2009年05-24(あいつがやってきた)
2008年05-18(初鳴き)
2007年05-24(噂をすれば…)

# by ka2ka55 | 2018-05-19 07:24 | 自然 | Comments(0)

釣魚:マルタとコイの季節@多摩川

年明けから寒い日が続いたせいか、1月中旬以降は近所の多摩川や用水路(二ヶ領用水)からオイカワなどの小魚はまったく姿を見せなくなり釣り糸を垂れることもなくなりました。釣魚は昨年4月末から始めたこともあり、これが普通なのかどうかわかりませんが、本格的な春が待ち遠しい今日この頃…
# by ka2ka55 | 2018-03-15 01:52 | 釣魚 | Comments(0)

考察:釣魚(つり)はスポーツであるか否か(3)

釣魚(つり)が(スポーツではなく)遊びであることにひとまず異論はありませんが、そもそも「遊び」とは何でしょうか……『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「釣り」の解説の中で『釣魚大全』の完訳者である森秀人氏は「釣りの意義」に関して以下のように述べています。
近年の釣りの大衆化は著しく、「釣りとは何か」という基本的な問いかけも行われないまま、いつのまにか人類の遊びの代表格になってしまった感すらある。しかし、人類文化と遊戯を研究したホイジンガの『ホモ・ルーデンス』や、カイヨワの『遊びと人間』などの名著にすら、なぜか魚釣りは取り上げられていない。その理由としては、おそらく釣りは、単に魚捕り一般に統括されると考えられていたからではなかろうか。つまり網打ちなど釣り以外の漁獲法と同一視されていたらしい。いまでも東南アジアなどでは、魚を棍棒(こんぼう)で撲殺(ぼくさつ)するという漁獲法が残っているし、釣りもそんな漁獲法の一部と考えられているのも事実である。要するに、生活の糧(かて)としての概念が強かったのであろう。
 その釣りが、しだいに遊びの要素を濃くし、今日の日本のように、釣り人口2000万といわれるまで膨張してきた秘密は何か。たぶんそれは、釣りが魚捕り以外の大きな魅力を備えているからに違いない。釣りは緊張、陶酔、解放という興奮回路の繰り返しである。釣りの計画、準備、出船、投餌(とうじ)――こうした事前の段階で緊張が高まっていく。続いて魚信、あわせ、釣り上げ――という一連の漁獲段階の陶酔がおこる。そして、やがて訪れる充足感覚、満足感によって、釣り人の精神は解放されていく。カイヨワは、遊びの重要な目的として、イリンクス(眩暈(めまい))をあげているが、それがこの陶酔にあたるものと考えていい。瞬間的に知覚の安定を崩し、一種の快適なパニックをおこさせる。心理的なけいれんと麻痺(まひ)がおこる。男性のほうが女性より釣りを好むのは、男性がアンドロゲンとよばれる男性ホルモンの分泌やアドレナリン(副腎(ふくじん)皮質ホルモン)の分泌において、女性を上回るからである。どちらの物質も、狩猟本能、攻撃本能を増加させる。[森 秀人]
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カイヨワの『遊びと人間』の中で釣魚が取り上げられていないというのは、たしかに意外であり、その理由として森氏が述べるように、釣魚が遊びではなく「漁獲法の一部」とみなされていたというのは、それなりに説得力があります。それでは、もしカイヨワが現在も生きていて、『遊びと人間』を新たに書いたとしたら釣魚も遊びとして取り上げるでしょうか……


# by ka2ka55 | 2018-01-18 08:00 | 釣魚 | Comments(0)

考察:釣魚(つり)はスポーツであるか否か(2)

一方、西洋では、『何羨録』(1723年)が書かれる70年前(1653年)にイギリスの随筆家で伝記作家のアイザック・ウォルトン(Izaak Walton, 1593-1683)によって『釣魚大全』("The Complete Angler")が著されています。
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原書の初版本奥付(左)/邦訳初版本(右)

これにはもちろん邦訳があり、1970年(昭和45年)に発行された初版第壱刷本(虎見書房刊)を最近入手しました(上記参照)。翻訳は評論家の森秀人(1933-2013)。Wikipediaの記事には「本名は秀男(演劇評論家の森秀男とは別人)。1958年、三一書房の評論募集に入選。1963年、30歳の若さで『思想の科学』編集長に就任。月刊『七宝芸術』編集長ののち、評論活動に専念する。当初は沖縄自立論を唱え既成左翼の「祖国復帰」論を厳しく批判する新左翼の論客であったが、現在は『釣魚大全』を翻訳した釣り師として一部で知られる存在である。考古学・民俗学・釣りなどの著書がある」とあります。
本文にざっと目を通した限りでは、たしかに興味深い内容なのですが、巻末に記載の「訳者解題」(pp.539-547)も本考察にとって大いに参考になることが書かれています。そこで、全文引用したいほどなのですが、そういうわけにもいかないので少し引用します。
 かつて釣魚は、子供と老人の遊戯であった。すなわち、無邪気な童(わらべ)の漁への本能と、無用の老人の自慰への欲求が、魚と向き合っていたのである。
 現代では、釣人口の圧倒的多数は、働きざかりの男性であり、そのために釣場を追われる子供と老人さえでてくるという時代となった。なぜ、現代人はかくも釣魚に熱中するのか。表面的な理由はいくつか数えあげられる。いわく、生活の多忙化。いわく、経済社会からの逃避。いわく、豊かさの反映。いわく、規格時代への反逆……。(p.539)
(中略)
 まったくの話、釣魚を単なる子供の遊びとか老人の隠居道楽でしかないと考えるひとびとは不幸である。私見によれば、釣魚は現代においては狩猟そのものであり、狩猟よりもはるかに難しい技術であり、考える遊戯の最高のものなのだ。(p.542)
(後略)

# by ka2ka55 | 2018-01-13 06:00 | 釣魚 | Comments(0)

釣魚:二ヶ領用水のオイカワをキャッチ&イート

5日の初チョイ釣り(釣果:オイカワ3匹)以降6日、9日、10日、11日に二ヶ領用水の同じ釣場でウキ釣りをしましたが、それぞれの釣果はオイカワ3匹(6日)、オイカワ3匹+モツゴ(クチボソ)1匹(9日)、オイカワ14匹(10日)、オイカワ16匹(11日)でした(いずれも釣魚時間は1時間半前後)。真冬のこの時期のオイカワの釣果として多いのか少ないのか、釣魚を昨年始めたのは4月末だったこともあり、よくわかりませんが、5月~9月頃と比べて魚の活性が低いことだけは間違いなさそうです。ただ、最初の3日とその後の2日の釣果に明らかな差がある理由は、使用したエサの違いかもしれません。オイカワをエサで釣る場合は、通常、白サシ(いわゆる蛆虫)を使用していますが、以前から気になっていた某メーカーの練り餌を一昨日(10日)初めて投入したところ、食い付きの良さだけでなく、釣れる魚のサイズにも明らかな違いが出て最大14cmの良型の個体が続々釣れたのには驚きました。昨日(11日)も同じ練り餌を使用したので間違いないでしょう。ちなみに「非常に美味」とされるオイカワの味わいの旬は秋から春(参考サイト)とのことなので、いつもは釣った魚はすべて逃がしています(キャッチ&リリース)が、昨日は10cmに満たない個体2匹は逃がして残りの14匹を持ち帰り天ぷらにして食べました。
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サイズは10cm~14cm
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10cmの4匹以外は背開き処理
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あまりきれいな出来上がりではありませんが…


# by ka2ka55 | 2018-01-12 03:30 | 釣魚 | Comments(0)

考察:釣魚(つり)はスポーツであるか否か(1)

「釣り」というのは正しい表現なのですが、ネット上でこの表現を使うと別の意味にとられる可能性がないわけではなく、純粋に魚を釣る意味での釣りを明示的にするために、今後、原則として「釣魚」という表現を使用します。

ところで、「釣魚(つり)はスポーツ?」と聞かれたことがあり、いささか返答に困ったのですが、敬愛する釣人の一人は「釣魚はスポーツではなく遊び」と明言しています。 ちなみにスポーツの定義は「一定のルールに則って営まれる競技のこと」とされ、釣魚にもじっさいに数々の競技が開催されていますから、その場合にはスポーツの一種とみなされるかもしれません。しかし、私が近所の川や用水路で小魚を釣っている場合は、何かルールがあるわけでも誰かと競っているわけでもなく、ただ楽しみとして釣りをしているにすぎず、まさに「遊び」でしかありません。
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その遊びもしくは趣味としての釣魚について日本で書かれた最古の専門書は、約300年前の享保8年(1723年)に陸奥国黒石3代当主・津軽采女(うんめ)(津軽政兕、1667-1743)によって書かれた『何羨録(かせんろく)』と言われています。これは手書きの書物で版本になっておらず、現在確認されれているのは6冊のみで、そのうちの1冊が中央水研のデジタルアーカイブに収録されていて全文を読むことができます(上記参照)。
しかし、読めると言っても一部は漢文で書かれていることもあり、ドイツ語を読むより難しいと言えなくもありません。Wikipediaには同書の序文の最後の一文(上の赤で示した箇所)が書き出されて「意訳」が付されているので引用します。
嗚呼、釣徒の楽しみは一に釣糸の外なり。
利名は軽く一に釣艇の内なり。
生涯淡括、しずかに無心、しばしば塵世を避くる。
すなわち仁者は静を、智者は水を楽しむ。
あにその他に有らんか
(意訳)
釣り人の楽しみはやはり“釣果”に尽きるだろう。
社会的名誉は重要ではない。いま、自分の世界はこの釣り船の中が全てであり、完結している。
だが生きていくとそれだけで、どうしてもなにかと煩わしい。難しいもので。
だから自分は時々、そんなことは忘れることにしている。
つまり
仁(この場合は慈悲や憐憫)の心を持つ者は心静かであることを楽しみ、
智恵のある者は水に楽しむ(釣り)のだ。
これほどの楽しみがあるだろうか。


# by ka2ka55 | 2018-01-10 02:30 | 釣魚 | Comments(0)

実話:カモメがたくさん翔んだ日@多摩川(東京都狛江市)

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「今年は多摩川にカモメがいない」という話を小耳に挟んだのですが、いやいや、「カモメ、そんなのいねーよ」と報じたらフェイクニュースになるエビデンスが上の写真。下の動画と併せてご確認ください。ヒッチコックの『鳥』の1シーンが実体験できると言っても過言ではないでしょう(2018年1月6日午前11時38分撮影)…

2018年1月6日午前11時39分撮影



# by ka2ka55 | 2018-01-06 21:30 | 自然 | Comments(0)