Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

タグ:日本語 ( 93 ) タグの人気記事

雲雀(ひばり)鳴く中の拍子や雉(きじ)の声 芭蕉

松尾芭蕉(Matsuo Bashō, 1644-1694)の45歳(元禄二年、1689年)の作とされるのがタイトルの句。ざっと調べると、芭蕉には雉を詠んだ句が少なくとも三つあり、そのうちの一つ。『猿蓑』所収。季は「三春」。「雲雀」も「雉」も季語なので、いわゆる「季重ね」ともみられるが、一句中に鳥が2種類詠まれているのもめずらしい。ちなみに句意は「ひばりのさえずる春の日、その鳴声に合いの手を入れるように雉子が拍子をつける」。さて、芭蕉によって300年以上も前にどこで詠まれた句なのか定かではないが、このところ近所の多摩川の河川敷では、まさに同句の通り、上空高く囀るヒバリと共演しているかのように鳴くキジの姿が見かけられる。昨日(4/16)の昼過ぎには鳴く瞬間を撮ることができた。
d0103632_131116.jpg
撮影日時: 2016/04/16 13:22:33
撮影場所: 川崎市多摩区(北緯35度38分/東経139度32分)

d0103632_222994.jpg

d0103632_22293336.jpg

d0103632_22294883.jpg

d0103632_2230288.jpg

d0103632_22303543.jpg


▼関連記事
・続)今年こそは「カワセミと桜」を撮りたい!(6)キジも鳴かずば撮られまい 2016-04-13
・今年こそは「カワセミと桜」を撮りたい!(6)キジも鳴かずば撮られまい 2016-04-12
・今年こそは「カワセミと桜」を撮りたい!(5)ゴイサギ/カワラヒワ/キジetc 2016-04-06
by ka2ka55 | 2016-04-17 02:57 | 自然 | Comments(0)

和名や学名に似合わず毒草の花が家の庭に咲いた

d0103632_2412563.jpg

d0103632_2414026.jpg

d0103632_2415442.jpg

和名は福寿草、学名はAdonis ramosa(Adonisはギリシャ神話に登場する美少年)であるが、「茎と根にはアドニンという毒成分があり,悪寒,嘔吐,呼吸困難,心臓麻痺などを起こし,死に至る場合がある」とのこと。ちなみに「元日草」または「朔日草(ついたちそう)」などの別名を持つが、この元日は旧正月のことで、今年(2015年)は2月19日(木)がそれに当たる(参考記事)。

水入りの 水をやりけり 福寿草   正岡子規

(この「水入り」とは、子規が硯箱(すずりばこ)と共に枕元に置いて愛用したものらしい)

by ka2ka55 | 2015-02-12 23:35 | 自然 | Comments(0)

本:赤坂真理『東京プリズン』(河出書房新社/2012年7月24日初版発行)

昨年出版され、すでにいくつもの賞を受賞しているようだが、最近の個人的な関心事に関連して遅まきながら読んだ小説(図書館で借りようとしたらどこも貸出中で相当待たされそうなので中古品を購入)。
「天皇の戦争責任」が主要なテーマの1つになっているのだが、最後の最後、不覚にも、読みながら嗚咽してしまった。小説というものを嗚咽して読んだのは久しぶり。感極まったというのとはちょっと違うような、どう表現してよいのかわからない。いや参った…以下に一部引用。
d0103632_343265.jpg
「『彼らの過ちの非はすべてこの私にある。子供の非道を詫びるように、私は詫びなければならない。しかし"私の子供たち"に対する気持ちを吐露する人の親であることをつかの間許していただけるなら、やはり、前線の兵士の狂気や跳ねっ返り行動と、民間人を消し去る周到な計画とは別次元であると言おう。そしてこの意味において、東京大空襲や原子爆弾投下は、ナチのホロコーストと同じ次元だと言おう。だからといって何も我がほうを正当化はしない。が、前線で極限状態の者は狂気に襲われうる。彼らが狂気のほうに身をゆだねてしまったときの拠り所が、私であり、私の名であったことを、私は恥じ、悔い、私の名においてそれを止められなかったことを罪だと感じるのだ。私はその罰を負いたい。
 兵士たちは十分な装備も、補給さえ、確保されぬまま、拡大する戦線の前線へと送られていった。行けばどうにかなるというていである。どうなるはずもない。私が、それを体を張ってでも止めるべきだったのだ。我が身を犠牲にしてでも止めるべきだったのだ。
 積極的に責任を引き受けようとしなかったことが、私の罪である。たしかに、私は望んでトップにまつりあげられたわけではなかった。担ぎ上げられたとも言える。が、それは私がこの魂を持ちこの位置に生まれついたのと同じ、運命であり、責任であったのだ。巡りあわせであり、縁あって演じることになった役割だ。それに私の全責任があるはずであった。戦争前に、戦争中に、そう思い至らなかったことを悔いている』」 (pp.435-436)

by ka2ka55 | 2013-09-15 03:59 | | Comments(0)

夜叉ヶ池@ NNTTを観てきた

夜叉ヶ池@ NNTTを観てきた。これまで観た和製オペラの中ではレベルは高めと言えよう。音楽的にはそれほど新しさは感じないが、聴き応えは十分。字幕付きとはいえ、「言ってること」も十分に聞き取れた。演出に関してもあまり新しさは感じない、というか種々のオペラを連想させる場面もあったww(Twitterより)
▼以下、新国立劇場(NNTT)のサイトより

オペラ「夜叉ヶ池」第1幕より 百合の子守歌
百合:幸田浩子 学円:黒田博 子どもたち:世田谷ジュニア合唱団



オペラ「夜叉ヶ池」第2幕より
白雪:岡崎他加子 万年姥:竹本節子 鯉七:高橋淳 蟹五郎:晴 雅彦 鯰入:峰茂樹


by ka2ka55 | 2013-06-28 19:37 | オペラ | Comments(0)

動画:屋根の上の若いツバメたちは世界平和のために飛び去って行く?



巣立って間もないと思われるツバメの雛が自宅近くの民家の屋根の上で飛ぶ練習(?)2013年6月9日午後5時半頃撮影

▼ちなみに「若いツバメ」の語源は以下のとおり
若いツバメとは平塚雷鳥という婦人運動家と年下の奥村博史という画家との恋愛から生まれた「年上の女性の愛人である若い男性」という意味の言葉である。平塚はこの5歳年下の彼氏・奥村のことを「若いツバメ」や「弟」と呼んでいた。二人の関係が公になるにつれ、女性解放を謳う平塚の運動に参加していた者の間でこれが騒ぎとなり、奥村が身を引く決心をする。その時、奥村が平塚に宛てた手紙の「若いつばめは池の平和のために飛び去っていく 」という文面から若いツバメは上記の意味で流行語となった。余談だが二人は最終的に結婚している。
http://zokugo-dict.com/44wa/wakaitubame.htm

by ka2ka55 | 2013-06-10 08:21 | 動画 | Comments(0)

三十年たったら帰ってきた寺山修司@世田谷文学館(2013年2月2日(土)~3月31日(日))

d0103632_3115924.jpg
d0103632_3121051.jpg
d0103632_3122552.jpg
d0103632_3123476.jpg

by ka2ka55 | 2013-03-29 03:18 | | Comments(0)

術後30日目にして退院日が決定!

昨日(12/20)で手術(11/20)からちょうど1カ月(30日)が経過し、退院日が23日()に決まった。つまり術後33日目ということになる。同手術後の退院までの期間は最短で4週間(28日)となっているので、まあ早すぎもせず遅すぎもせずといったところだろう。
ところで個人的にはまったく気にならないのだが、世の中には退院の吉日(六曜)にこだわる人もいるようで、「知恵袋」にはこんなQ&A(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1150061326)も掲載されている。つまり統計的に大安を選んで退院する人が多く、高齢になるほどその傾向がさらに強くなるということらしい。そんなもんかいな、と思って暦をちらっと見てみると、23日は「先負」となっている。まあ仏滅でなければOKだろうと思いつつ、「先負」を調べてみると「六曜の一。急用・争い事・公事などを避け、静かに待つのがよいとされる日。午前は凶、午後は吉。先負日。せんまけ。さきまけ。(三省堂 大辞林)」とのこと。ううむ。
by ka2ka55 | 2012-12-21 02:16 | ニュース | Comments(0)

現代用語の糞知識:主催者発表

しばしば、大会、集会、イベントなどでの主催者による「人数」の発表数の意味で用いられる。
「主催者側発表」という言い方も。
もともと大きなイベントに何人集まったかは、数えることが可能なレベルでない限り、第三者のメディアが責任をもって確認するのが難しいため、「本当はわかりませんが、主催者はこう言いましたよ」というエクスキューズとして
「5万5000人」(主催者発表)
などという書き方になる。ただし、得てして主催者は、多くの数が集まったほうが商業的にも政治的にもステータスとなるため、誇大に発表しがちで、会場キャパシティなどから、あり得ないという指摘をされることもある。
以前は、警察が交通整理の必要などから独自に計測した人数を発表したため、
「警察発表」
「主催者側発表」
のふたつが数字として出ることが多かった。(「側」がついたのはこの意味だと思われる)
数字が驚くほどかけ離れたことも多い。
ただし現在は、警察が方針を転換し、この種の参加人数に関する「警察発表」をわざわざ行うことはしない、とも言われる。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%E7%BA%C5%BC%D4%C8%AF%C9%BD

関連記事:
ウィーンの糞知識(2007-02-13
by ka2ka55 | 2012-07-01 23:58 | ニュース | Comments(0)

「いれずみは文化だ」と

本日(4日)の朝の新聞(珍しく日本の新聞)の文化欄に「刺青」に関するちょっと興味深い記事が掲載されていた。
d0103632_18492033.jpg
記事で紹介されているのは、熊本保健科学大学の小野友道学長。専門(皮膚科学)の立場から一昨年、『いれずみの文化誌』を出版した。人はなぜ体に墨をいれるのかについて、小野氏によると、「①他者を脅すという以外に②江戸時代の遊郭で始まった男女の愛の誓い③犯罪者への刑罰④絵柄自体の美しさに魅了(谷崎潤一郎『刺青』)⑤治療や癒やし、など理由は多岐にわたる」とのことだが、歴史をひもとけば、政治家のいれずみさえ珍しくないという。
チャーチルやF.D.ルーズベルト、スターリンにも見られた。小泉純一郎元首相の祖父で逓信相だった又次郎にもあったとされている。佐野真一『小泉純一郎―血脈の王朝』によると、又次郎が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九紋竜だったとも、『水滸伝』の魯智深(ろちしん)、すなわち花和尚だったともいわれる。
記事の写真はデンマーク国王のフレデリック9世のようだが、かつて英王室を中心にヨーロッパ貴族社会でいれずみブームが起きたという話も興味深い。国王や王子がいれずみを彫るためにわざわざ来日したらしい。

また、刺青に関しては、『食べる西洋美術史』の宮下規久朗氏が『刺青とヌードの美術史』を美術史家の立場から著しているが、それとは別に『裏側からみた美術史』の中の「究極の身体芸術」でも「日本を代表する芸術」としての刺青に言及していて興味深い。
 刺青は、文政10(1827)年、浮世絵師歌川国芳が、『水滸伝』に付した挿絵を出版したことをきっかけに大流行した。国芳の《通俗水滸伝豪傑百八人一個》(口絵4および図12)は、刺青史上、画期的な作品群であり、その後の刺青にきわめて重要な役割を果たした。 p.71
いれずみにしても、いや、いずれにしても、こうした日本の刺青文化の深さについて知るきっかけを作ったのは、関西方面のH市長の大きな功績と言えるかもしれない。実に皮肉である。
by ka2ka55 | 2012-06-05 16:29 | ニュース | Comments(0)

H●t●er

ドイツ語には"Hetzer"(ヘッツァー)という語があり、「煽動者」などと訳されているが、日本語にもなっている「デマゴーグ」(Demagoge)とほぼ同じ意味とみられる。
今日は珍しく英字新聞(The Washington Post)を見ていたら、日本関連の記事の中に"rabble-rouser"という単語が目に留まり、調べてみると、これも"Hetzer"の同意語のようである。
ちなみに、一般の辞書には載っていないが、ルアーフィッシングで使用されるルアー(疑似餌)の一種にも"Rabble Rouser"(ラブル ラウザー)があることを初めて知った(参考記事)。この場合、煽られて釣られるのは魚(バス)である。
by ka2ka55 | 2012-05-24 12:46 | 翻訳 | Comments(0)