Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

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独デュッセルドルフ発: 大災害後の福島県の医療最前線リポート(動画)

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YouTubeに公開されたばかりの(center.tv Düsseldorf制作)動画"Wege aus der Katastrophe - Wie Fukushima die Welt erobert"(直訳すると「大災害からの道 - いかに福島は世界を征するか」)(2部構成)が目にとまり、非常に興味深い内容なので取り急ぎ掲載することにした。



前半



後半

by ka2ka55 | 2017-02-12 12:15 | ニュース | Comments(0)

ドイツの前外相の葬儀@ケルン(2016-04-02)で演奏されたオペラの楽曲とは…

ドイツではこのところ「大物」政治家の訃報が続いている。昨年(2015年)1月にはヴァイツゼッカー元大統領、11月にはシュミット元首相、そして先月31日(3/31)にはゲンシャー元外相が89歳で亡くなったばかりだが、その約2週間前(3/18)に白血病のため54歳で亡くなったのがギド・ヴェスターヴェレ前外相(Guido Westerwelle, 1961-2016)。その葬儀が先週の土曜日(4/2)にケルンのザンクト・アポステルン(St.Aposteln)教会で行われ、その模様の生中継映像が公開されている(下記動画参照)。個人的にこの種の映像は滅多に見ることはないのだが、同前外相がオペラ愛好家だったせいか、ミサの合間に何曲ものオペラもしくはオラトリオの楽曲(合唱曲)が演奏されたことを報道で知り、つい動画サイトを検索して見てしまった次第。また、関連記事にもあるように、そういえば、外相時代の2011年のバイロイト音楽祭に際しては、同性婚のパートナーと連れ立って開幕日に現れた姿を思い出したりもしたが、葬儀で演奏された中にワーグナーの曲はなく、演奏された楽曲は以下のとおり:

(1)マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ(Cavalleria Rusticana)》より間奏曲(00:17:40-00:20:55)
(2)ベートーヴェン《フィデリオ(Fidelio)》より「O welche Lust(なんて嬉しいことか)」(00:21:15-00:26:27)
(3)メンデルソゾーンのオラトリオ《エリヤ(Elias)》より 「Denn er hat seinen Engeln befohlen...(それ、主汝のためにみ使いたちに命じ…)」(1:09:48-1:13:10)
(4)プッチーニ《トゥーランドット(Turandot)》より「Nessun dorma(寝てはならぬ)」(独唱: Filipe Rojas Velozo)1:18:50-1:21:40)
(5)ヴェルディ《ナブッコ(Nabucco)》より「Va, pensiero(行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って)」(1:31:30-1:34:48)

指揮: ヘリベルト・バイセル(Heribert Beissel
管弦楽: ボン・クラシック・フィルハーモニー(Klassische Philharmonie Bonn
合唱: ケルン歌劇場合唱団(Chor der Oper Köln


by ka2ka55 | 2016-04-05 06:08 | ニュース | Comments(0)

「今年(2015年)の言葉」に決まったのは"Flüchtlinge"だけど…

昨日(2015年12月11日)ドイツ語圏の各メディアは、ドイツ語協会(Gesellschaft für deutsche Sprache)(GfdS)が「今年の言葉(Wort des Jahres)」として"Flüchtlinge"を選んだことを伝えたが、Wikipediaの"Flüchtling"の項目にはすでに以下のような記事が掲載されている。
Wort des Jahres

Die Gesellschaft für Deutsche Sprache entschied, dass „Flüchtlinge“ das Wort des Jahres 2015 sei.[11] Es handele sich nur um das das Jahr 2015 beherrschende politische Thema, das Wort sei auch sprachlich von Interesse, so die Begründung.[12]

„Gebildet aus dem Verb flüchten und dem Ableitungssuffix -ling (›Person, die durch eine Eigenschaft oder ein Merkmal charakterisiert ist‹), klingt Flüchtling für sprachsensible Ohren tendenziell abschätzig: Analoge Bildungen wie Eindringling, Emporkömmling oder Schreiberling sind negativ konnotiert, andere wie Prüfling, Lehrling, Findling, Sträfling oder Schützling haben eine deutlich passive Komponente. Neuerdings ist daher öfters alternativ von Geflüchteten die Rede. Ob sich dieser Ausdruck im allgemeinen Sprachgebrauch durchsetzen wird, bleibt abzuwarten.[13]“

by ka2ka55 | 2015-12-12 09:11 | ドイツ語/外国語 | Comments(0)

訃報: 元西独首相ヘルムート・シュミット氏死去

タイトル通り、西ドイツ時代に首相(1974-1982)を務めたヘルムート・シュミット(Helmut Schmidt)氏が10日(火)(現地時間10日14時45分頃)(出身地でもある)ハンブルクで死去しました。96歳でした。
個人的には初めてドイツ(西独)に渡った当時の首相であり、1982年10月1日の歴史的な「建設的不信任決議」成立とともにコール政権に交代する様子をリアルタイムで見ていたこともあり、最も思い出深いドイツの政治家と言っても過言ではありません。
当ブログでは2008年に1度だけタバコ絡みで記事にしたことがありますが、シュミット氏といえば、やはりヘビー(チェーン)スモーカーとして有名でした。つい最近たまたま見つけた、約半年前(4月28日)に収録されたインタビュー動画でも、冒頭からタバコの話題だったので思わず苦笑した次第…安からにお眠りください(Ruhe in Frieden)



<2015年4月28日収録>




<1982年10月1日収録(政権交代時の不信任投票に関する演説)>

by ka2ka55 | 2015-11-11 00:50 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(6)

いまさらながら「過去の克服」とは ― ドイツ語の"Vergangenheit(過去)"と"Bewältigung"(克服)の複合語"Vergangenheitsbewältigung"の訳語であることは明らかだが、"Bewältigung"の「克服」はけっして誤訳ではないものの中には「清算」の訳語を挙げている辞書もあり、「過去の清算」と読み替えてもあながち間違いではないかもしれない。

以下、一次文献を含む関連記事/論文を引用:

▼引用1)出典: 『歴史家論争の地平(Das Horizont des Historikerstreits)』(抜粋) 轟 俊
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Weizäcker und Barenboim

 1985年5月8日、ドイツ無条件降伏(敗戦)から40周年の日に当時のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領(Richard Karl Freiherr von Weizsäcker)が、連邦議会で記念演説を行っている。
" Es geht nicht darum, Vergangenheit zu bewältigen. Das kann man gar nicht. Sie läßt sich ja nicht nachträglich ändern oder ungeschehen machen. Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart. Wer sich der Unmenschlichkeit nicht erinnern will, der wird wieder anfällig für neue Ansteckungsgefahren."
『問題は過去を克服することではありません。それはできるわけがないのです。過去を後になって他のものに変更したり、取り消したりすることはできません。しかし、過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となるのです。非人間的行為を心に刻もうとしない者は、また新たな感染の危険性に罹りやすいのです。』
 参照先リンクは以下のとおり 

(Zum 40. Jahrestag der Beendigung des Krieges in Europa und der nationalsozialistischen Gewaltherrschaft. Ansprache des Bundespräsidenten Richard von Weizsäcker am 8. Mai 1985 in der Gedenkstunde im Plenarsaal des Deutschen Bundestages)
http://www.hdg.de/lemo/html/dokumente/NeueHerausforderungen_redeVollstaendi
gRichardVonWeizsaecker8Mai1985/

 この演説は、ヴァイツゼッカーの淡々として気取りの無い、真摯なこの歴史的名言で知られている。
 しかし、この1年後の1986年に歴史家のエルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)の論文『過ぎ去ろうとしない過去』(Die Vergangenheit, die nicht vergehen will.)が、フランクフルター・アルゲマイネ(Frankfurter Allgemeine Zeitung)紙に掲載され、歴史家論争が、1988年秋まで2年越しで行われることになった。
 ドイツの歴史家の中には、ヴァイツゼッカー効果が及ばなかったグールプもあった。 彼らから見れば、大統領の父親エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーが、ユダヤ人の国外移送で重要な役割を果たしたナチス外務省高官であり、フランスのユダヤ人をアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ移送するなど、ユダヤ人迫害に関与し、人道に対する罪で訴追されたことが念頭にあったのか、この演説にほとんど感化=『心を刻む』されることが無かった。
 ハーバーマス(Jürgen Habermas)は、1986年7月11日付けの『ツァイト』(Die Zeit )紙に、『一種の損害清算 -ドイツの現代史記述における弁解的傾向』と題する論文を発表し、ノルテやビルグルーバー等の考えを歴史修正主義として彼らの歴史認識を批判した。
 彼らはこれに対し、主として フランクフルター・アルゲマイネ紙に拠って、猛烈な反論を試みる。こうして『歴史家論争』(Historikerstreit)の幕が開けた。
 この論争は、1987年7月には、ビーバー社から『歴史家論争 - 国家社会主義の類例なきユダヤ人絶滅をめぐる論争』と題し、大小さまざまな論稿42本が集められて刊行されることになった。
日本でも、1995年、このうちの16本を抄出し、エルンスト・ノルテの論文の題名を取り、『過ぎ去ろうとしない過去』(人文書院)として出版されている。
                         (後略)
全文URL: http://hgeldenken21.jimdo.com/歴史哲学ノートその1-ドイツ歴史家論争の地平/

▼ヴァイツゼッカー大統領の演説の原文: Gedenkveranstaltung im Plenarsaal des Deutschen Bundestages zum 40. Jahrestag des Endes des Zweiten Weltkrieges in Europa(Bonn, 8. Mai 1985)

▼引用2)出典: 「過ぎ去ろうとしない過去」-書かれはしたが、行われなかった講演-エルンスト・ノルテ
 「過ぎ去ろうとしない過去」とは、もっぱらドイツ人の、あるいはドイツのナチズムの過去のことである。普通なら、いかなる過去も過ぎ去ってゆく。過ぎ去らないというのは、何かまったく例外的なことであるに違いない。この表題が含意しているのは、こうした主張である。なお、過去が普通に過ぎ去ってゆくといっても、それは消え去るということではない。例えば、ナポレオン一世の時代は、歴史的な研究において繰り返し現在化される。アウグスティヌスの古典的著作もまたしかりである。だがこうした過去は、明らかに、それらがかつての同時代人に対してもっていた迫真性を失っている。まさにそれだからこそ、こうした過去は歴史家の手に委ねられる。それに反して、ナチズムの過去は―最近、ヘルマン・リュッベが指摘した通り―いつの間にか消え去る、あるいは力が弱まっていくといった過程をとらない。それどころかますます生き生きとし、力強くなっているようにさえ思われる。とはいえ、それは模範としてではなく、悪しき事例としてであり、まさしく現在として立ちはだかる過去、裁きの剣のように現代の頭上に吊り下がっている過去としてなのだ。
                       (中略)
 だが、過去が過ぎ去ろうとしないことに不快の念を表わし、もう「終わり」にして、ドイツの過去を原則的にもはや他の国の過去と異ならないものにしたいと思っているのは、果たして日常生活のなかの「実際のドイツ国民」の頑迷さだけなのだろうか。むしろ、ナチズムと絶えず「対決」しようとする動きに対して、いわば防壁をめぐらそうとしてきた議論や疑問の多くのなかに、正当なものの核心が秘められていたとは言えないか。私は、私の見解からすれば決定的なものである「誤り」を概念化するために、こうした議論や疑問のいくらかを引き合いに出してみる。そして、「終わり」にすることとも違い、再三再四喚起されてきた「克服」とも違う過去との「対決」の輪郭を描いてみたい。
                       (後略)
(清水多吉・小野島康雄訳)
フランクフルター・アルゲマイネ紙(Frankfurter Allgemeine Zeitung)1986年6月6日付
全文URL: http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~bessho/Vorlesungen/VorMaterial/Nolte1985Vergangenheit.pdf
▼上記訳文の原文: Ernst Nolte: Die Vergangenheit, die nicht vergehen will. Eine Rede, die geschrieben, aber nicht gehalten werden konnte

▼引用3)出典: 記憶による過去の清算と克服 : ミロ・ドールによるヨーロッパの架橋の構築(http://hdl.handle.net/10965/346)/生田眞人(京都産業大学外国語学部)
要 旨
本論考では,ある意味で最も典型的な「中欧ヨーロッパ人」といえるミロ・ドール(1923-2005)がたどった人生と,彼が創作してきた作品群をとおして,ドールの汎ヨーロッパ文化への貢献の足跡をたどる。日本ではほとんど知られていない作家なので,本論ではまずミロ・ドールの略歴を紹介し,作家としてのドールに関しては彼の代表作である『思い出のほかに何もなし』,『休暇中の死者たち』,および『白い町』の解釈を通して作品の意義を考察する。あわせて,作家としてのド-ルのヨーロッパの各地域間の相互交流への貢献についても考察する。ドールの政治分野での活動も重要なので,作家としてのドールと関連付けて,彼のベルグラードでの親ナチ・セルビア王政への抵抗運動も紹介する。さらにウィーンに定住してからのドールに関しては,より大きな「故郷」を求め,さらに自らのよって立つアイデンティティーの根拠を求めての彼の作家活動と政治的行動を相互に関連させつつ考察する。
キーワード:過去の克服 ( 清算 ),ミロ・ドール,「記憶」,ユーゴスラヴィアでの抵抗運動,ウィーンとベルグラード

全文URL: http://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/346/1/AHSUSK_HS_42_158.pdf

by ka2ka55 | 2015-10-29 01:29 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(3)

   ドイツと日本は1945年以降、自国の全体主義時代の歴史を想起し、解釈する上で、著しく異なる方法をとった。やや大胆に一般化するならば、ドイツは(ナチズムから)距離をとろうとし、日本は(戦時中はもちろん、少なくとも明治期まで遡るナショナルな伝統に対して)守旧的であったと要約できよう。とはいえ、今日にいたるまで過去の解釈を歪める阻害要因を抱えているという点ではどちらの社会も同じである。過去をテーマ化することに関してはどちらの社会を見ても、1930年代、1940年代の歴史化は緒についたばかりである。
   そう考えれば、連邦共和国はナチの過去をうまく「克服」したが、日本は取り組みが足りないという見方は不十分だと思われる。両国が共通して抱える「負の遺産」(イアン・ブルマ)について比較する場合には、ドイツを模範生、日本を劣等生とみなしがちだが、そのように言ってみたところで何が分かるだろう。せいぜいのところ規範的なメッセージと政治的な判断が導きだされるだけである。
   したがって、われわれは違う考え方をとりたい。まずは、日本とドイツで過去をテーマ化する際に主流となった解釈枠組みの違いを示すことにしたい。単純化して言えば、過去から距離をとろうとする方向性と、過去とのつながりを保とうとする方向性である(第Ⅱ節)。この二つの方向性の違いを、国政レベルに焦点を当てつつ、制度と人脈という二つの領域を例に描き出すことにする。ドイツでは多くの点で人的連続性があったが、政治体制としては連邦共和国(西ドイツ)はナチとの断絶を前提として出発した。新しい民主主義秩序の基礎はナチの過去から「距離」(Distanz)をとることによってしか築かれえなかったためである。その意味で、連邦共和国ではナチズムから距離をとることはいわば政治的な正当性の根拠であった。それに対して日本の政治エリートは1945年以降も伝統的な政治体制を広範に維持しようとした。政治秩序とナショナルな伝統が「継続」(Kontinuität)したことは、1945年以降、天皇の役割が変更されたとはいえ伝統的な面を残したことや、靖国神社での慰霊に表れている。これらは、ナショナルな伝統と自国史の連続性に立脚し、そこから距離をとることを望まない日本の姿勢を示すものである。この状況を別の言い方で表すならば、ドイツでも日本でも実際には連続と断絶の双方の側面が絡み合っていたにもかかわらず、解釈枠組みとしては、著しく異なる、それどころか正反対のものがとられたということになる。

(引用文献)
過去との断絶と連続
1945年以降のドイツと日本における過去との取り組み
Dintance and continuity: coming to term with the past in Germany and Japan after 1945
マンフレート・ヘットリング/ティノ・シェルツ
川喜田敦子(現中央大学文学部教授)訳(pp.94-95)
(収録刊行物)
ヨーロッパ研究 6, 93-118, 2007-03
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部ドイツ・ヨーロッパ研究センター

http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_6_Hettling_Schoeltz.pdf
▼関連論文
・ドイツにおける現代史教育/ナチの過去に関する歴史教育の変遷と展望/川喜田敦子
(Die NS-Vergangenheit in der Geschichtserziehung in Deutschland / Entwicklungen und Perspektiven /Atsuko Kawakita)
http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_4_Kawakita.pdf
by ka2ka55 | 2015-10-25 11:20 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(2)

 *ナチズムと日本の戦争犯罪は比較できるか
 歴史認識問題において日本とドイツを結びつける主張は、多くの場合、両国のたどってきた道の相違を意図的に無視するか、あるいは無自覚のままである。しかし、日本とドイツの第2次大戦の戦争遂行と戦争処理の経緯には、単純に比較できない相違があった。また、ドイツを中心とするヨーロッパで、歴史認識問題がきれいさっぱり解決したわけではない。この問題で日本とドイツを比較する際の基本的な視座を2点指摘したい。
 第1に、ドイツの場合、過去の克服は、謝罪、補償、国内の法的措置のいずれの面でも、ホロコーストという何人も正当化できない絶対悪を前提として組み立てられてきた。「歴史において模範も経験もない制度」と明記された「連邦補償法」による「ナチスの迫害の犠牲者」への補償、ナチ戦犯の追及のための集団虐殺(ドイツ語でVölkermord)、虐殺(Mord)罪の時効廃止、ナチズムに関する表象(かぎ十字やナチ式あいさつ)を公共の場で示すことを刑法で禁じたこと―は、そうしたドイツの特殊な過去克服の例である。西ドイツはホロコーストの贖罪と補償を国家存立の根幹に据える道を選んだのだった。
 1980年代、西ドイツの右派、左派の歴史学者の間で戦わされた「歴史家論争」において、ナチズムとスターリニズムなどとの比較検討を拒む立場の根拠が、このホロコーストの唯一性(ドイツ語でEinzigartigkeit)だった。すなわち、ホロコーストと、他の歴史上の残虐行為との比較そのものが、ドイツのかつての非道を相対化する、という主張である。左派の学者は、右派の学者エルンスト・ノルテによる「第三帝国(ナチ・ドイツ)」のユダヤ人虐殺は、一つの反作用か歪曲されたコピーであり、第一幕でもオリジナルではなかった……第三帝国は、特にその最も重要な前提条件としてロシア革命に関係づけられねばならない」といった主張の中に、戦後ドイツが担わねばならない責任を免れようとする意図が隠されている、と糾弾したのだった。
 それが今では、もとより左派色の強いドイツメディアが、ナチズムと日本の戦争犯罪を比較し、ドイツでは真摯に過去を克服したが日本はしていない、という主張を公然と掲げるようになっている。しかし、ホロコーストの唯一性を棚上げしていいわけはない。
 第2に、ドイツの戦争処理の特殊性を生み出したのは、戦後、ドイツが東西に分断され、平和条約を結んで国家賠償を支払う通常の戦争処理ができなかったからである。その代わり、西ドイツは「連邦補償法」や2国間協定で、国内外の「ナチスの迫害の犠牲者」に多額の補償を行ってきた。1990年にドイツ統一が実現した際も、賠償交渉を旧交戦国と重ね平和条約を結ぶ、という戦争処理の仕方をとらなかった。

三好範英(読売新聞編集委員)『ドイツリスク「夢見る政治」が引き起こす混乱』光文社新書、2015年、pp.208-210

 *ドイツこそが「特別な例」
 「はじめに」で触れた2015年3月9、10日の来日の際、メルケルは朝日新聞社主催の講演会で、「ドイツは幸運だった。フランスを始め国際社会がドイツとの和解を受け入れたからだ」と、中韓に日本との和解努力を促したとも受け取れる発言もしている。
 米国の政治学者ジェニファー・リンドは、米外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」(2009年5/6月号)に、「西ドイツとフランスは、西ドイツが過去の罪を償う前に和解を果たした。謝罪はなくてもかつての敵国同士は和解が可能である。謝罪は国内の保守派の反対論に火を付け、和解にはかえって逆効果」との趣旨の論文を発表し注目された。
 フランスが和解の手を差しのべた背景には、お互いに幾度となく戦火を交えて勝者となり敗者となった歴史があり、いわば「被害」と「加害」の均衡があったこと、すでに両国とも先進国の価値を共有できる国家であったこと、ソ連に対抗するために結束しなければならなかったこと―などを指摘することができるだろう。こうした条件を満たす2国間関係は東アジアにはない。ドイツにとってのフランスに該当する国は日本には存在しない。仮に比較することに意味があるとすれば、日韓関係はドイツ-ポーランド関係だし、日中関係はドイツ-ロシア関係だろう。
 日本の歴史認識に関する議論は、日本軍による戦争犯罪をナチ犯罪のように歴史上唯一の絶対悪、人道に対する罪とまで位置づけるには無理があることから、ドイツのような一方的な断罪の議論とはならなかった。したがって、歴史認識は多様で、日本国内で「正しい歴史認識」で一致することは難しかった。
 歴史認識問題に関し国内には意見の幅があるのが、成熟した社会においては通常の姿であろう。その点で日本の現状は米国、英国、フランスといった先進国と同様なのであり、ドイツが「特別な例(ドイツ語でSonderfall)」なのである。  上掲書、pp.212-214

by ka2ka55 | 2015-10-24 02:16 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(1)

1 「ドイツ見習え論」とは?
 「ドイツ見習え論」は、1985年5月のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領による戦後40周年演説を契機として日本で広まり、ドイツとの比較が頻繁になされた。しかし、日本国内では次第に日独両国の比較の困難性が理解され、さらに平和主義と密接に結びついていたため、特に1999年ドイツ連邦軍がコソボ紛争に本格的に参戦して以降、下火になっていった。
 一方、東アジアにおいては、戦後50年を迎えた1995年前後から、同種の主張がなされており、現在でも続いている。例えば、1995年6月、新華社は、日本の戦後50年決議を論評した中で、「日本とドイツの戦後処理は、天と地ほどの差がある」と指摘していた1。
 このような日独比較に対して、かつて町村信孝外相は、ホロコーストの特質やナチスの存在を指摘しつつ、「単純にドイツと比較というのはいかがなものか」と反論を行っていた2。
 ドイツの識者は、日本の「過去」への姿勢に対する批判が目立つものの、概ね日独の比較には慎重である。例えば、ヴァイツゼッカー元大統領は、日独両国には、類似点とともに歴史の連続性、文化、社会、政治体制の構造の面などで大きな相違点があり、したがって「二つの国を比較するのは大変に困難なことです。両国を横に並べて比較することには大いに自制しなくてはなりません」と忠告していたのである3。

(庄司 潤一郎 (防衛研究所戦史研究センター長)(2014-05-29)

https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=234
▼関連論文
・統一ドイツにおける「過去」の展示と歴史認識-ホロコーストを中心として-庄司 潤一郎
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-2_3.pdf

▼関連動画
(1)板橋拓己 成蹊大学准教授

2015/03/30 に公開
Takumi Itabashi, Associate professor, Seikei University
板橋拓己 成蹊大学准教授が、戦後の西ドイツを率いたアデナウアーの生涯を描いた著書について話­し、記者の質問に答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/03/r00030572/
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年4月号に掲載)

現代ドイツを創った政治家を通して日本を見る

西ドイツ初代首相を描いた近著『アデナウアー』(中公新書)を紹介し、戦後ドイツの成­立について解説、日本の戦後70年を考える上でも、時宜にかなった会見となった。

アデナウアー(1876~1967、首相在任は49~63)が目指した政策理念として­▽欧州連合(EU)につながる西側結合▽自由主義体制の定着▽戦後補償―を挙げる。著­者が日本人の視点として独自性を強調したのは、イスラエルとユダヤ人団体への補償を取­り上げた点だ。

イスラエルは、ナチス時代の罪や過去を突き付けるナイーブな存在だった。西ドイツが主­権を回復し、国際社会に復帰するためには「ナチスの過去」を清算する必要があった。当­時、イスラエルにとって「反ドイツ」は国是。西独、イスラエル両国内から批判が出る中­、アデナウアーがドイツ人の責任を認め、ユダヤ人への補償に踏み出そうとした点は評価­されてもいい、と主張する。

「ドイツの政治家は過去について、どういった言動が許されないか、というコード(規定­)を強固に持っている。国際社会を非常に意識している。学んでもいいのでは」と提言し­た。

東京新聞論説委員
熊倉 逸男

(2)石田勇治 東京大学大学院教授

2015/04/19 に公開
Yuji Ishida, Professor, Graduate school of arts and sciences, The University of Tokyo
東京大学大学院の石田教授が、ドイツの戦後和解の取り組みについて話し、記者の質問に­答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/04/r00030759/
会見詳録(文字起こしpdf)
http://www.jnpc.or.jp/files/2015/04/a46b29dc9c7e3e6803226992658af16a.pdf
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報5月号に掲載)

戦後ドイツの和解 その成果と限界は

政治指導者の役割重要

戦後70年を迎え、日本の歴史問題への取り組みをめぐる議論が盛んになり、その中でし­ばしばドイツが引き合いに出される。戦後ドイツは、周辺国やイスラエルとどのように和­解していったのか。

第1回は、ドイツ戦後史に詳しい石田勇治氏が、概論を語った。

西独、そして統一ドイツの「過去の克服」の取り組みは多岐にわたるが、ホロコーストな­どナチスが犯した不法に対する補償と、司法訴追が、2つの大きな柱だ。各分野での政策­は、政治がその時々の社会的要請や国際的な圧力に応えたもので、多分に「場当たり的」­ではあった。

しかし、次第にドイツの過去への取り組みは、国際社会で高い評価を得るようになる。

こうした経緯をたどった要因として、石田氏は、過去への反省を内外に示したブラント首­相やヴァイツゼッカー、ラウ両大統領の例を引いて、政治指導者の役割を強調した。

ドイツとイスラエルとの関係を取り上げた武井彩佳氏の話(第2回)は、アデナウアー西­独首相の「現実路線」に焦点をあてた点で、新鮮味があった。

ドイツは1952年、アデナウアーの決断で、イスラエルと「ルクセンブルク補償協定」­を結んだ。戦後和解プロセスの出発点だ。

武井氏によれば、アデナウアーが国内の反対を押し切って協定締結を推進したのは、「国­際情勢を勘案して利益が大きい」との現実的な判断に立ったからだ。

この時期の西独は、戦勝国である米、英、仏との間で、主権回復と再軍備に関する交渉を­行っていた。こうした復権が西側戦勝国から認められるためには、イスラエルへの補償を­行うことが必要だった。

一方、イスラエルの指導者も、経済的な逼迫を打開するため、ドイツからの補償を受け入­れるという現実的な選択をした。

「冷戦の枠組みの中で、和解という方向性が、ドイツ人、ユダヤ人双方のニーズに合って­いた」というのが武井氏の要約だ。

第3回の川喜田敦子氏は、ドイツがフランス、ポーランドなどと行っている歴史教育分野­での対話を紹介した。対話は、教科書の内容を互いにチェックして誤りや偏見を指摘する­という初期段階から、両国関係に関する出来事の共同執筆に進む。

独仏は、「対話の長い積み重ねの上に立ち」21世紀に入って高校生向け共通教科書の刊­行にこぎつけた。

ただ、共通教科書は、多分に「派手なパフォーマンスを望む政治」の後押しを受けたもの­であり、教育現場での採用率は低いとのことだ。

共通教科書を目標とするより、対話を通じて、他国民を傷つけない歴史記述を模索するこ­とが重要だというのが、川喜田氏の指摘だ。

いずれの回も活発な質疑応答があった。「ドイツによるユダヤ人への優遇は、イスラム系­住民の視点からは、どう捉えられるか」「ドイツとロシアとの歴史対話は可能か」「植民­地支配の過去への取り組みは十分か」といったポイントが取り上げられた。いずれも、ホ­ロコーストへの反省に重点を置き進展してきた、ドイツの「過去の克服」の限界や急所を­つく疑問である。

議論は、現今の幅広い国際問題と関連付けて、戦後ドイツの歩みをより深く理解しようと­する方向に向かったと言える。

読売新聞論説委員
森 千春

*このリポートは、下記同シリーズとの統合版です。
・武井彩佳 学習院女子大学准教授(2015年4月22日)
・川喜田敦子 中央大学教授(2015年4月24日)

(3)武井彩佳 学習院女子大学准教授

2015/04/22 に公開
Ayaka Takei, Associate Professor, Gakushuin Women’s College
学習院女子大学の武井教授が、戦後ドイツとイスラエルの関係やドイツ国内のユダヤ人社­会について解説し、記者の質問に答えた。
司会 杉田弘毅 日本記者クラブ企画委員(共同通信)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/04/r00030760/

(4)佐藤健生 拓殖大学教授

2015/05/14 に公開
Takeo Sato, Professor, Takushoku University
拓殖大学の佐藤健生教授が、日独の戦後処理、過去との取り組みを比較しながら解説し、­記者の質問に答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/05/r00030762/
会見詳録(文字起こしpdf)
http://www.jnpc.or.jp/files/2015/05/cfbfdcb0b53e49ef7e97847db83981d0.pdf
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年6月号に掲載)

日本との比較の論点 加害者意識欠けるのでは

1968年、ドイツのホームステイ先で、第二次大戦を「日本が3カ月余計に戦った」と­妙なほめられ方をされて以来、戦後の日本とドイツの比較を問題意識として持ち続け、第­一人者として語り続けてきた歩みを振り返った。日本からドイツを見る目は、故ワイツゼ­ッカー大統領演説をきっかけにした「ドイツ理想視・モデル論」、その反動の「偶像破壊­論」などと変遷してきた。自らは、比較し、学び、参考にする、という姿勢だと位置付け­る。

日独とも戦時の加害責任を問われるが、ドイツは戦争に対する反省よりもナチズムによる­人権侵害への責任意識が強いと指摘。日本は加害者意識が欠けているとし、理由として、­日本人は開戦ではなく終戦の視点から戦争をとらえているからだとした。ドイツの「過去­の克服」とは、「現在の国家が戦前とは異なることの証を立て続けること」だとし、加害­者の追及▽被害者の救済・補償▽再発防止―の3つが補完し合い、同時進行してきたと説­明する。日独最大の違いとして、日本は米国さえ何とかすればいいという意識で、アジア­への目配りがおろそかになっていたことを挙げた。

東京新聞・中日新聞論説委員
熊倉 逸男

(5)ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ大使

2015/05/26 に公開
Hans Carl von Werthern, Ambassador to Japan, Germany
フォン・ヴェアテルン大使が、戦後のドイツの取り組みについて話し、記者の質問に答え­た。
司会 杉田弘毅 日本記者クラブ企画委員(共同通信)
通訳 ベアーテ・フォン・デア・オステン(ドイツ大使館)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/05/r00030935/
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年6月号に掲載)

「戦争中何をしたのか。父の真実を知る必要があった」

「1960年~70年代、ドイツの若者たちは父親や祖父が戦争中に何をしたか問い詰め­た。どんな罪を犯し、どれだけの責任を負っているか、事実を知る必要があった」。大使­自身も7、8歳の頃、父親に人を殺したか問うと答えは「ヤー」、ショックだったという­。二度と過ちを繰り返さないためには過去を知ることが重要で、前に進むには痛みも伴う­。5回にわたったドイツの戦後和解に関する研究会の最後を締めくくる重い言葉だ。

会見のテーマは、ドイツとイスラエルの和解。ユダヤ人絶滅を図った「悪の象徴」ドイツ­とイスラエルの和解は、ナチスの不法の責任を認め補償を始めたアデナウアーに依るとこ­ろが大きいが、世代が変わってもぶれることはない。メルケル首相は「イスラエルの安全­保障はドイツの国是だ」と演説、ドイツはイスラエルの生存権を守る覚悟があるのだとい­う。世論の反発の中、政治主導の和解の取り組みは「唯一無二の関係」に発展した。

「口で言うより行動だ」。ワルシャワのユダヤ人ゲットーでひざまずいたブラント元首相­、戦没者の墓地で手を取り合ったミッテラン・コール仏独首脳。指導者の行動が世界に発­信され信頼獲得につながったという。アジアでも不可能ではないというが。

NHK解説委員
二村 伸

by ka2ka55 | 2015-10-23 01:08 | ニュース | Comments(0)

受賞者一覧: 国際オペラ・アワード2015(Opera Awards 2015)@ロンドン2015年4月26日

結果(受賞者一覧)は以下の通り:
1. Accessibility(アクセス性)
 Den Norske Opera
2. Conductor(指揮者)
 Semyon Bychkov
3. CD (Complete Opera)(CD(オペラ全曲版))
 Offenbach: Fantasio, Opera Rara
4. CD (Operatic Recital)(CD(オペラリサイタル))
 Anna Bonitatibus: Semiramide: La Signora Regale, deutsche harmonia mundi
5. Chorus(合唱)
 Welsh National Opera Chorus
6. Designer(デザイナー)
 Es Devlin
7. Director(演出家)
 Richard Jones
8. DVD(DVD)
 Strauss: Elektra, Bel Air Classiques
9. Female Singer(女性歌手)
 Anja Harteros
10. Festival(フェスティバル)
 Bregenzer Festspiele
11. Male Singer(男性歌手)
 Christian Gerhaher
12. Newcomer(新人)
 Lotte de Beer
13. New Production(新プロダクション)
 Khovanskygate, Birmingham Opera Company
14. Opera Company(オペラ・カンパニー)
 Ann Ziff (Bill and Ann Ziff Foundation)
15. Readers' Award(読者賞)
 Aleksandra Kurzak / Jonas Kaufmann
16. Rediscovered Work(再発見作品)
 Rossini: Aureliano in Palmira, Rossini Opera Festival
17. Richard Strauss Anniversary Production(リヒャルト・シュトラウス記念プロダクション)
 Die Frau ohne Schatten, Royal Opera
18. World Premiere(世界初演)
 Boesmans: Au Monde, La Monnaie
19. Young Singer(若手歌手)
 Justina Gringyte

*Lifetime Achievement(特別功労賞)にはSpeight Jenkinsが選ばれている。

▼関連動画


Part 1

by ka2ka55 | 2015-04-27 07:37 | オペラ | Comments(0)

国際オペラ・アワード2015(Opera Awards 2015)@ロンドン2015年4月26日

▼すでに何度も記事にしているように、本日(4/26)ロンドンのサヴォイ劇場(The Savoy Theatre)で午後7時(日本時間27日午前2時)から国際オペラ・アワード2015(International Opera Awards 2015)の授賞式が開催される。授賞対象は以下の19部門:
1. Accessibility(アクセス性)
2. Conductor(指揮者)
3. CD (Complete Opera)(CD(オペラ全曲版))
4. CD (Operatic Recital)(CD(オペラリサイタル))
5. Chorus(合唱)
6. Designer(デザイナー)
7. Director(演出家)
8. DVD(DVD)
9. Female Singer(女性歌手)
10. Festival(フェスティバル)
11. Male Singer(男性歌手)
12. Newcomer(新人)
13. New Production(新プロダクション)
14. Opera Company(オペラ・カンパニー)
15. Readers' Award(読者賞)
16. Rediscovered Work(再発見作品)
17. Richard Strauss Anniversary Production(リヒャルト・シュトラウス記念プロダクション)
18. World Premiere(世界初演)
19. Young Singer(若手歌手)

▼各部門とも6~8名(作品やカンパニー等を含む)の候補(finalists)は発表されているが、受賞者は未定。個人的に特に興味のある部門については、すでに記事にしているが、中でも激戦と思われる演出家部門と女性歌手部門については、あくまでも個人的な好みの最有力候補として、演出家はデビッド・オルデン(David Alden)(関連記事)、女性歌手はリュドミラ・モナスティルスカ(Liudmyla Monastyrska)(関連記事)を挙げておきたい。

▼関連記事(International Opera Awards 2015: preview)(25日付The Telegraph)
by ka2ka55 | 2015-04-26 01:26 | オペラ | Comments(0)