Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

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旅行から戻ってすでに半月。"Jetlag"はなんとか克服したが、ここ数日、風邪気味で体調は冴えない。いったん下がった熱が再び上がり始めてついに38度を超えた。冴えないはずである。グラウパでの続きを含めて11月中に終えようと思った旅行の記事はどうやら来月に持ち越しとなる。きょうはもう寝る。
by ka2ka55 | 2011-11-30 20:22 | ニュース | Comments(0)

グラウパにて

13日(日)はドレスデンでの最終日、最後のオペラ《ローエングリン》を観る前に同演目にゆかりの、というか発祥の地とも言うべきグラウパ(Graupa)を訪れた。
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しかし、グラウパと聞いてどれだけの人が場所の見当がつくだろうか。アタシ自身、旅行直前までまったく知らない地名だった。ひょっとすると、並みのワーグナー通でも知らない地名かもしれない。ちなみにウィキ(日本語版)のワーグナーの記事でも言及されていない。以下の記事はドレスデンの観光案内のサイトに掲載されている関連記事(リヒャルト・ヴァーグーナーとドレスデン)からの抜粋。
 1845年10月19日、ヴァーグナー作「タンホイザー」は歌劇場で初演を迎えます。彼の報酬が300ターラーなのに対して、装飾の費用は8000ターラーにものぼりました。翌年夏、ヴァーグナーはドレスデン郊外グラウパの農場に引きこもり、「ローエングリン」の総譜を書きあげます。今日ここはドイツ東部で、ヴァーグナーにゆかりのある唯一のヴァーグナー博物館となっています。
 彫刻家リヒァルト・グーア(1873-1956)は、この博物館のすぐそばにブロンズ製のヴァーグナーの頭部の記念像をつくりました。それはここからリーベ ターラー グルントまでつづいているロッホミューレン道のかたすみにあります。
 このロマンチックな森林風景の中に、同じくグーアの手になる1933年に除幕されたザクセンでは最初のヴァーグナー記念像が立っています。これは、この作曲家の最大の記念像であり、同時にヴァーグナーを聖杯の守護人として神格化しました。グラウパではまた、ドレスデン出身で後に指揮者となるハンス・フォン・ビュロウとも知り合います。ヴァーグナーは、1863年、彼からコジマ夫人を奪うことになります。
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これが彫刻家グーアによるワーグナーの頭部の記念像。逆光だったせいか正面からの写真はなし。それと、もうひとつ、1933年に除幕されたという記念像のほうはなぜか見落としてしまった。博物館グラウパのサイトに掲載されているのでこちらを参照されたい。
by ka2ka55 | 2011-11-28 23:49 | 旅行 | Comments(0)

マイセン磁器製作所にて

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磁器製作所(Porzellan-Manufaktur)だというので工場のような施設を想像していたら外観はまるで美術館だった。実際には工場は別にあり、そこは見学不可。美術館というか博物館としての「製作所」内には見学用のミニ工房があり、そこで制作過程の実演を見ることができる。
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一見、落書きに見えなくもないが、マイセン磁器の商標としての窯印の変遷が描かれている。よく知られているのは「交差した青い双剣」だが、最初(1720年頃)に用いられたのはローマ字RとAの組み合わせで、これはアウグスト強王を意味するらしい。
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まさに美術館であり、日本語による見学コース開始までの間、展示品および販売品で目の保養
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以上、値札のない展示品
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値札があるので販売品に他ならないが、左のパゴダ人形は「2万ユーロ(約210万円)」なので残念ながらお土産としてはちょっと高すぎた。右のセット品はぐっとお安く(?)「842ユーロ(約8万8千円)」。
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これらは比較的安価なものばかりだが、同等の大量生産品と比べたらはるかに高いはず
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この一連の緑の模様は「緑のぶどうの輪」と呼ばれ、1817年に酸化クロムの下絵付として生まれたもの。その後1831年にザクセンの国の色が白と緑に制定されたことなどから非常な人気を博した絵柄でもあるとのこと。個人的にも最も気に入った。
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ため息が出るほどの美しさとお値段である

以下、実演コーナーにて
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by ka2ka55 | 2011-11-27 23:31 | 旅行 | Comments(0)

Meissen in Meißen

11月11日(金)はKZとはとりあえず縁もゆかりもない(むしろ日本と縁が深い)マイセンを訪れた。
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マイセン(Meißen)へはドレスデン中央駅から電車(S-Bahn)で40分弱。本数は多く、ほぼ30分間隔で出ているので1本乗り過ごしても大したことはないが、この日はホテルを出るのが遅れて中央駅に着いたのが11時少し前で11時発をほんの僅かの差で見送ってしまった。タイトな予定を組んでいるので、こういう30分のロスは痛い。
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ピンと来た人がいればセンスのある人だが、タイトル(Meissen in Meißen)はこの邦訳版(マイセンの町とマイセン磁器)の原題である。どちらも発音は同じで「マイセン」だが、地名の場合は-ß-を用い、磁器製作所の名称としては-ss-を用いるとのこと。
と同時に、"MEISSEN"は商標登録されているということでもある。
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この日は(も)地図やガイド本を持たずに出たので町の標識を頼りに目的地に向かいながら目に留まった印象的な建物や風景を撮影していたが、正面の屋根(高さ18m)が印象的な建物は市庁舎。後期ゴシック様式で建設開始は1472年とのこと。
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マイセンは小さな町(人口約3万人)だが、ドレスデンと違って第二次世界大戦で破壊されることはなく、いまも大部分昔の姿をとどめていて、印象的なのは、丘陵地ということもあり旧市街には急斜面の狭い路地、小さな広場やこじんまりとした横丁、小さな裏庭などが点在していること。ここはマイセンで最も美しいといわるブルク通り(であることを後で調べてわかった)。
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ここも相当に勾配があったが、完全な石畳のため自転車(とくにロードバイク)では走りにくそう。いや、歩くのもタイヘンで女性はけっしてハイヒールを履いてこないように。
by ka2ka55 | 2011-11-26 23:32 | 旅行 | Comments(0)

KZにて

ダッハウの駅前からKZ記念(追悼)地(KZ-Gedenkenstätte)行きのバスに乗ると10分ほどで目的地に着く。バスを降りるとすぐ左手に小奇麗なビジターセンターがあり、トイレや軽食レストランのほか関連書籍類を販売しているコーナーがある。ここではまったく暗い雰囲気はなく、当日は相当に冷え込んでいたため暖をとりつつガイドのKZの概略を聞いた。ちなみにKZの見学は無料である(ただし月曜日は休み)。
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KZへのゲート(正門)
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ゲートに掲げられた有名なスローガン。(どの収容所にも掲げられていた)"ARBEIT MACHT FREI"とは直訳すると「労働が自由にする」だが、「労働は自由への道」とか「働けば自由になる」とかさまざまに訳されていて定訳はないらしい。これに関してはあらためて記事にしたい。
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ダッハウKZはヒトラーが(民主的な選挙によって)政権を獲った直後(1933年)に設置された、いわば第1号のKZということもあり、当時の選挙用と思われるポスターがいくつか展示されていたが、なかでもこれが最も印象的だった。
"Unsere letzte Hoffnung"とは「我々の最後の希望」という意味。いまとなっては最後の希望をヒトラーに託した「我々」が馬鹿だったということでしかないが、当時の状況下ではきわめてインパクトのある(リアリティのある)キャッチであったに違いない。
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オリジナルを復元した展示物がほとんどの中で、この机と壁に書かれた文字はオリジナルなものらしい。
"Rauchen verboten"は「禁煙(喫煙禁止)」の意味。当時の収容所では一般に喫煙は許可されていたようだが、一部ではこうした「禁煙ゾーン」があったということ。何のための禁煙なのか不明だが、禁を犯すといきなり拷問を受けそうな雰囲気がしなくもない。
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独房棟
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これもきわめて印象的なモニュメント(1968年建立)
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当時はこの並木道に沿って30棟の収容所(バラック)があり、現在は2棟のみが復元されて内部が公開されている
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並木道の先に各宗教別の記念碑があり、これは(たぶん)ユダヤ教の記念碑
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バラックと各宗教記念碑から小川を挟んで少し離れた場所にある火葬場(krematorium)の焼却棟内部
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「ガス室(Gaskammer)」の説明パネル
一室で青酸ガス(ジクロンB)によって15~20分で最大150人までの殺傷能力があったという
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「ガス室」はカモフラージュのために"BRAUSEBAD"つまり「シャワー設備のある浴室」と表示されており、実際にシャワーのノズル(もちろんフェイク)が備えられていた。これによって中に入ることを拒絶しないようにしたというのだが……
しかし、ここダッハウのKZに「ガス室」が存在したことは事実だが、実際に使用されることはなかった。それが公式に認められたのはニュルンベルク裁判の開始から15年経過した1960年のことだという。つまりダッハウの強制収容所はけっして「絶滅収容所」ではなかったということが判明している。
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写真ではよくわからないが、見学者はこの日も非常に多かった。ほとんどが(授業の一環で訪れる?)中学生か高校生ぐらいの少年少女たちのグループで年配者の多くは(アタシのような)外国人観光客と思われる。しかし中国人らしきは何人か見かけたが、日本人らしきは見かけなかった。日本人向けの日本語のパンフレットや資料もないようである。
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約5時間のツアーを終えて再びミュンヘン市内へ。ツアーのガイドを含めてドイツ語を話さない/話せない参加者は"Dachau"を「ダッカウ」と発音するので、はじめ何を言っているのかわからなかった。
by ka2ka55 | 2011-11-25 06:15 | 旅行 | Comments(3)

KZへ

"KZ"はドイツ語では「カーツェット」と発音する"Konzentratioslager"(強制収容所)を意味する略語。単語の形からすると、"KZ"ではなく"KL"ではないかと以前から疑問に思っていたが、あらためてウィキの記事を見ると以下のように記載されている。
コンツェントラツィオンス・ラーガー(独: Konzentrationslager、一般的にKZ(カーツェット)と略。管理者である親衛隊 (SS) は公式にKL(カーエル)と略した[1][2])は、ナチス・ドイツがユダヤ人、反ナチ分子、反独分子、エホバの証人、政治的カトリック、同性愛者、ソ連捕虜、常習的犯罪者、「反社会分子」(浮浪者、ロマ、労働忌避者など)といった者たちを収容するためにドイツ本国及び併合・占領したヨーロッパの各地に設置した強制収容所である。
いずれにしても、ミュンヘン郊外にはKZの中で最も古いとされる(1933年設置)ダッハウ強制収容所が存在したことは周知の通りであり、その跡地が記念施設とともに公開されていることも以前から知っていた。しかし、これまで何度もミュンヘンを訪れ、かつては1カ月間滞在したこともあったにもかかわらず、ダッハウには一度も訪れることはなかった。避けていたわけではないと言えばウソになるかもしれない。つまり、積極的に見学したいという気にはどうしてもなれなかったというのが正直な気持ちである。そこで今回は意を決して(というほどでもないが)「ダッハウKZ見学」を旅程に組み込むことにした。これが9日の「強制予定」である。
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いつもなら地図などを頼りに単独で見学しに行くのだが、ホテルにパンフレットがあったので今回は珍しくツアーに参加することにした。"Dachau Memorial Tour"と称する英語のガイド(男)によるツアー。第1集合場所の中央駅の旅行案内所でチケット(21ユーロ)を買い、有名な新市庁舎(写真)のある第2集合場所のマリエンプラッツに地下鉄で移動して参加者(国籍がばらばらの9人(女3+男6)でアジア系はアタシ一人)が全員そろってスタート。スタート時点(午前10時15分)のミュンヘン市内はやや気温は低めとはいえ晴天だったが、2番のSバーンでダッハウに着く30分ほどの間に天候は一変して辺りは濃霧に包まれてしまった。
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ダッハウの駅前。案内板とバスターミナル(KZ行きバスの発着所)

by ka2ka55 | 2011-11-24 13:56 | 旅行 | Comments(0)

満点

「ヴァルトブルク城」の記事がまだ書きかけだが、フランクフルトの《ジークフリート》に関するopernnetzの記事が目に留まったので取り急ぎ、こちらを掲載しておく。
フランクフルトの《ジークフリート》に関しては今回の観劇旅行中に観た中で個人的に最も評価が高い公演だったわけだが、あくまでも主観的な感想であり、ど素人がいくら感動したと言っても説得力がないに違いない。しかしながら、先の記事では「演出、オーケストラ(指揮)、歌手のほか舞台装置を含めて完璧と言っても過言ではない」とも書いたが、主にドイツ語圏で上演されたオペラのレビューが掲載されている上のサイトの記事でも"Points of Honor"で満点の評価を下しているので、まんざら主観的な感想でもなさそう。すなわち、音楽(Musik)、歌唱(Gesang)、演出(Regie)、舞台(Bühne)、聴衆(Publikum)、話題性(Chat-Faktor)のすべてで満点の5点(合計30点)の評価である。
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http://opernnetz.de/seiten/rezensionen/fra_sie_bri_111030.htm

by ka2ka55 | 2011-11-23 15:54 | ニュース | Comments(0)

ヴァルトブルク城@アイゼナハ(3)

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by ka2ka55 | 2011-11-23 13:06 | 旅行 | Comments(0)

ヴァルトブルク城@アイゼナハ(2)

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by ka2ka55 | 2011-11-22 23:23 | 旅行 | Comments(0)

ヴァルトブルク城@アイゼナハ(1)

旅行から帰ってもう1週間になるが、相変わらず本調子でなく、深夜に眠れず昼間にしばしば訪れる睡魔と格闘中。まあ、もうしばらく成り行き任せ状態が続く。
そこで、プラス思考として(いわば)旅行の余韻に浸っているうちに、メインの観劇とは別に今回の旅行中に訪れた(観光した)名所・史跡のいくつかを忘れないように記事にしておく。まずは、7日(月)に訪れたアイゼナハのヴァルトブルク城について。
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この日は特急(ICE1557)でフランクフルト中央駅を午前9時20分に出発、アイゼナハ中央駅に午前11時05分に到着の予定だったが、約15分遅れて到着後、すぐに駅前のバスターミナルから10番のバスに乗ってヴァルトブルク城の城下まで行き、そこから表示(Zur Burg)に従って城へは徒歩で10分ほど結構な勾配を登って行く。霧が立ち込めていて相当に冷え込んでいるが、燃えるような落ち葉と紅(黄)葉のせいか、寒々しい感じではない。
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山頂(城壁内)に近づくにつれて益々霧の濃度は増して一段と冷えてくる。わずかに霧雨になっていたかもしれない。そんな状態のため、見晴らしがいいはずの下界の視界はほぼゼロに等しく、ちょっと惜しくもあるが、霧の中に佇む城郭は絵になるという意味でけっして残念がるほどでもない。ただし一番下のパンフレットに写っているようなくっきりとした城の外観はとても望めそうにない。
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注)ここまでの写真に写し込んだ時間表示は日本時間(+8時間)になってしまっている
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by ka2ka55 | 2011-11-21 04:27 | 旅行 | Comments(0)