Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

カテゴリ:ニュース( 821 )

独デュッセルドルフ発: 大災害後の福島県の医療最前線リポート(動画)

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YouTubeに公開されたばかりの(center.tv Düsseldorf制作)動画"Wege aus der Katastrophe - Wie Fukushima die Welt erobert"(直訳すると「大災害からの道 - いかに福島は世界を征するか」)(2部構成)が目にとまり、非常に興味深い内容なので取り急ぎ掲載することにした。



前半



後半

by ka2ka55 | 2017-02-12 12:15 | ニュース | Comments(0)

オーストリア航空(AUA/OS)成田ーウィーン路線の最終フライト(2016年9月4日)

オーストリア航空(AUA/OS)が日本市場からの撤退を決めたことが今年4月に発表されたときは、ウィーンへの唯一の直行便だった成田ーウィーン路線が廃止されることで残念がる声が多く聞かれた(関連記事)。私も残念に思う一人だが、思えば、OSを初めて利用したのは、10年前(2006年)に初めてエッツタール大会に参加したときだった。そのときに利用した機体は、たまたまウィーンフィルの特別塗装機(写真)だったこともあり、妙に興奮したことを覚えている。
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その後は2011年まで毎年ヨーロッパに行ったが、OSを利用したのは2008年が最後で、このときは優雅にビジネスクラスを利用したこともあり、ブログに機内食の写真を掲載したりしている。
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さて、いずれにしても本日(9/4)13:45成田発ウィーン行きOS52便を最後に日本からウイーンへの直行便は利用できなくなり、とくに音楽関係者/愛好者には不便であることは間違いない。今後、ANAがウィーン線を新たに開設する可能性もなくはないようだが(関連記事)、果たしてどうなるか…
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最後のOS52便はウィーンに向けて定刻より約1時間半遅れて15時13分に成田を出発…

▼関連記事
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そして、OSといえば、一際目立つ全身真っ赤の客室乗務員の制服。成田で初めて見たときは卒倒しそうになったけれど、もう見られなくなるのは寂しい…
by ka2ka55 | 2016-09-05 01:12 | ニュース | Comments(0)

ドイツの前外相の葬儀@ケルン(2016-04-02)で演奏されたオペラの楽曲とは…

ドイツではこのところ「大物」政治家の訃報が続いている。昨年(2015年)1月にはヴァイツゼッカー元大統領、11月にはシュミット元首相、そして先月31日(3/31)にはゲンシャー元外相が89歳で亡くなったばかりだが、その約2週間前(3/18)に白血病のため54歳で亡くなったのがギド・ヴェスターヴェレ前外相(Guido Westerwelle, 1961-2016)。その葬儀が先週の土曜日(4/2)にケルンのザンクト・アポステルン(St.Aposteln)教会で行われ、その模様の生中継映像が公開されている(下記動画参照)。個人的にこの種の映像は滅多に見ることはないのだが、同前外相がオペラ愛好家だったせいか、ミサの合間に何曲ものオペラもしくはオラトリオの楽曲(合唱曲)が演奏されたことを報道で知り、つい動画サイトを検索して見てしまった次第。また、関連記事にもあるように、そういえば、外相時代の2011年のバイロイト音楽祭に際しては、同性婚のパートナーと連れ立って開幕日に現れた姿を思い出したりもしたが、葬儀で演奏された中にワーグナーの曲はなく、演奏された楽曲は以下のとおり:

(1)マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ(Cavalleria Rusticana)》より間奏曲(00:17:40-00:20:55)
(2)ベートーヴェン《フィデリオ(Fidelio)》より「O welche Lust(なんて嬉しいことか)」(00:21:15-00:26:27)
(3)メンデルソゾーンのオラトリオ《エリヤ(Elias)》より 「Denn er hat seinen Engeln befohlen...(それ、主汝のためにみ使いたちに命じ…)」(1:09:48-1:13:10)
(4)プッチーニ《トゥーランドット(Turandot)》より「Nessun dorma(寝てはならぬ)」(独唱: Filipe Rojas Velozo)1:18:50-1:21:40)
(5)ヴェルディ《ナブッコ(Nabucco)》より「Va, pensiero(行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って)」(1:31:30-1:34:48)

指揮: ヘリベルト・バイセル(Heribert Beissel
管弦楽: ボン・クラシック・フィルハーモニー(Klassische Philharmonie Bonn
合唱: ケルン歌劇場合唱団(Chor der Oper Köln


by ka2ka55 | 2016-04-05 06:08 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(17)―ベト6「田園」を聴きながら―

「田園」(Pastorale)として知られるベートーヴェンの第六交響曲がオーストリア・ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場第五交響曲(運命)とともに初演(作曲家自身によって指揮)されたのは207年前の今日(1808年12月22日)とされている(ちなみに初演時、「田園」は第5番として、「運命」は第6番として、現在とは逆の順番で演奏された)。


▼交響曲第6番ヘ長調作品番号68『田園』(Die Sinfonie Nr. 6 F-Dur op. 68)(Pastoral)(1808年完成・初演)
作曲: ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)
指揮: パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Järvi)
演奏: ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)
第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め(Erwachen heiterer Empfindungen bei der Ankunft auf dem Lande)」: Allegro ma non troppo
第2楽章「小川のほとりの情景(Szene am Bach)」: Andante molto mosso 12:10
第3楽章「田舎の人々の楽しい集い(Lustiges Zusammensein der Landleute)」: Allegro 23:50
第4楽章「雷雨、嵐(Gewitter, Sturm)」: Allegro 28:52
第5楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち(Hirtengesang. Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm)」: Allegretto 32:20
https://www.youtube.com/watch?v=2vqhu5kM3vs
ところで、なぜ「運命」ではなく「田園」を取り上げたかというと、つい最近発売された川口マーン恵美著『ヨーロッパから民主主義が消える』(PHP新書)を例によって斜め読みしていたところ、>>第5章「強すぎるドイツ」も内実はボロボロだ<<の一節「フォルクスワーゲン不正ソフト事件が与える衝撃」(pp.128-128)の中で「第六交響曲」について言及されていたからである。なかなか興味深い話なので当該箇所(p.125)(太字)を含めて、例によって引用させてもらう。
 そのドイツをさらにボロボロにしようとしているのが、二〇一五年九月からドイツ全土を揺るがしているフォルクスワーゲンの不正ソフト事件だ。この事件は社会に与えたインパクトの強さゆえ、ウォーターゲートにちなんで、ディーゼルゲートと呼ばれるようになった。この事件が起こったとき、誰もが驚いたはずだ。あのドイツが!? と。
 ドイツの特徴の一つは、その優秀さだ。この国では、社会のここぞという場所に配置されている人々は文句なしに優秀である。その優秀なドイツ人がつくる製品は、当然のことながら、世界でも定評がある。
 だからこそ、ドイツ製品が世界市場で他国の製品と競合するとしたら、最終的にはやはりハイテクのmade in Japanしかない。ドイツ人と日本人は、センスではイタリアに、進取の気質ではアメリカに引けをとるところがあるかもしれないが、よいモノづくりにかけてはつねに世界一を争ってきた究極のライバルである。
 それにもかかわらず、日本人はドイツ人を好意的にみてきたし、いまもみている。敬意を表してもいる。ところがドイツ人は、それが鼻の差であれ、日本人が彼らの後塵を配しているあいだは好意的だが、彼らを超えることは絶対に許さない。昨今ますます猛々しくなっているドイツ人の日本攻撃は、もとを正せば、日本がGDPでドイツを抜かした一九六八年に始まったのだと、私は思っている。ドイツ人にとって日本がライバルではなく、小癪な国になって久しい。
 技術大国ドイツの人々の複雑さは次のようところにも表れる。彼らは絶大な技術力を誇りに感じつつ、技術そのものに対する不信の念をどうしても拭いきれない。つねに人間のほんとうの幸福は、技術の進歩を追い求めることではなく、自然と共存して生きるところにあるのではないかと考えている。彼らにとっての理想の生活とは、物質文明への貢献ではなく、そこからの離脱なのだ。自然回帰は彼らの大いなる夢である。
 この夢は、ベートーヴェンの第六交響曲によく表れている。この曲にはPastoraleという副題がついており(ベートーヴェン自身がつけたらしい)、それが日本では「田園」と訳されているが、Pastoraleというのは、牧歌的なものへの憧れが最大限に込められた言葉だ。ベートーヴェンが何を求めていたかは、各楽章につけられた標題をみれば、さらによく理解できるだろう。
 第一楽章は「田舎に到着し、嬉しくてたまらない感情の湧いてくるさま」、第二楽章は「小川の情景」、続いて「田舎の人々との楽しい集い」「雷雨、嵐」そして「牧歌―嵐のあとの嬉しく感謝に満ちた感情」。これだけでベートーヴェンが一級のロマンチストであることに疑問の余地はなくなる。そして、ベートーヴェンの願望はそのまま、いまのドイツ人の願望でもある。

 とはいえ、現在、ドイツ人の実生活は自然回帰とは程遠い。ギリシャ人なら、自然回帰したければ、つべこべいわずにするだろうが、ドイツ人はそうはいかない。なぜか? 彼らの心には、自然回帰だけではなく、技術の進歩を求める衝動も抜き難くあるからだ。世界一になりたいという野望は強い。
 それらが自然回帰の願望と衝突するから、ドイツ人の悩みは深くなる。それもこれも、ドイツ人が優秀であり、同時にロマンチストであるがために起こる悩みなのであるが、こうしてみると、ドイツ人の行動が、ときに現実と乖離するのは、これまた必然のようにも思えてくる。
 そのドイツで起こったフォルクスワーゲンの不正ソフトが凄かった。検査のときは排ガスを抑えさせ、普通の走行になると、「よし、もう大丈夫」とクルマに教える。するとクルマは、検査時の四〇倍もの窒素酸化物を撒き散らしてズンズン走る。技術大国ドイツ、不正もまことにハイテクである。
 ディーゼルゲートで何がいけなかったというと、ドイツがこれまで環境、環境と偉そうにいいながら、じつは、環境規制を技術力でもって不正に切り抜けようとしていたことだ。つまり、傷がついたのはドイツ人の信用であり、技術力ではないというのがドイツ人自身の認識である。それどころか、今回の事件は、made in Germanyのクオリティーをいっそう持ち上げる結果となったというような自己批判的自画自賛評(?)もあった。
             (中略)
 さらに、ドイツ人を襲っている危機は、made in Germanyの信頼失墜だけではない。大見得を切った脱原発は、ほんとうに二〇二二年までに達成できるかどうか疑わしくなっているし、FIFA(国際サッカー連盟)のプラッター会長の汚職疑惑を、高みから非難がましく眺めていたら、二〇〇六年のドイツのW杯誘致は、ドイツサッカー協会がお金で買ったものだという疑惑が持ち上がった。
 そして、そのドイツにとどめを刺そうとしているのが、ひっきりなしに押し寄せてくる難民なのである。 pp.123-128

by ka2ka55 | 2015-12-22 00:40 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(16)― T.スナイダー著『ブラッドランド』を斜め読みする(1) ―

「あれこれ」(7)と(8)で取り上げた米国イェール大学教授で歴史家のティモシー・スナイダーTimothy David Snyder, 1969年8月18日-)氏の2010年に出版された著書『Bloodlands: Europa between Hitler and Stalin』が今年10月に『ブラッドランド/ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実(上下巻)』(筑摩書房)として翻訳出版され(関連記事)、早速(購入せずに)図書館に予約したところ、ようやく下巻のみ順番が回ってきたので斜め読みしているところ。
氏の近著『Black Earth: The Holocaust as History and Warning』と内容が重なるようでもあるが、先のインタビューで「私は『記憶の文化』の奉仕者ではありません」と答えた意味が本書を斜め読みしたかぎりでもそれなりに解せる箇所がある。また、巻末の索引を見ると、上巻には日本に関する記述(とくに日独防共協定(1936)関連)もあり、これは本書の評価にとって重要かもしれない。以下、「第11章 スターリニストの反ユダヤ主義」(pp.175-232)から最後の一節を引用(赤字はka2kaによる)
 ヒトラーとスターリンの狭間で
 スターリニストの反ユダヤ的措置により、モスクワとプラハ、ワルシャワで命を奪われた者はほんのひと握りだったが、そのことはヨーロッパの過去を混乱させた。ホロコースト自体、最大の犠牲者はロシア人とスラブ人ではなかったので、スターリニストの語るソヴィエト国民受難の物語と矛盾していた。第二次世界大戦の勝利者であり犠牲者であったのは、共産主義者と彼らに忠実に従うスラブ民族だったと理解されなければならなかったからだ。西側がなんの罪もないスラブ民族を攻撃しようとする図式は、冷戦にも適用された。だがそれは、ユダヤ人が西側帝国主義陣営のイスラエルやアメリカと結びついて歴史を歪曲したと見なすことにもつながったのだ。
 ヨーロッパ諸国の大半を共産主義政権が統治しているかぎり、ホロコーストが正しく理解される日は来なかった。東欧では現実に何百万人もの非ユダヤ人が戦場やドゥラークやシュタラークや占領下の都市で命を落としたり、村や農村部で報復に遭って殺されたりしたので、共産主義者はつねにこうした史実を根拠に、非ユダヤ人の受難をことさら強調してきたのだった。スターリンをはじめとする共産主義指導者たちは当然ながら、最後まで一貫して、西側では、赤軍がドイツ国防軍制圧に貢献したことや東欧の人々がドイツの占領下で苦しんだことをほとんど評価していないと主張し続けた。ホロコーストをノーブランドの苦難の歴史に埋没させるという、たったひとつの修正を加えただけで、かつてあれほど東欧にとって中心的存在であったユダヤ文明を異質なものとして遠ざけてしまったのだ。冷戦時代の西側諸国もごく自然な反応として、スターリン主義がソヴィエト国民に強いた多大な苦難を強調していた。これももちろん、ほんとうだ。しかしソ連のシナリオと同じように、これだけが真実ではなかったし、すべての真実でもなかったのだ。記憶をめぐる競争が繰り広げられるなかで、ホロコースト、ドイツが進めたほかの大量殺人政策、そしてスターニストによる大量殺人は、三つの異なる歴史となったが、実際には時期も場所も共通していたのである。
 ナチス政権とソヴィエト政権による民間人の大量虐殺は、いずれもほとんどが流血地帯(ブラッドランド)で起きている。ヨーロッパ・ユダヤ人が故郷として代々暮らしてきた土地は、戦後は、死の工場や大量虐殺地といっしょに、共産圏に組み入れられた。スターリンは新しいタイプの反ユダヤ主義によって、ホロコーストを実際よりも小さな事件にしてしまった。一九七〇年代から八〇年代にかけてホロコーストの記憶が国際的に共有されるようになると、今度は犠牲者としては少数派だったドイツ・ユダヤ人、西欧ユダヤ人の経験と、全ユダヤ人犠牲者の約六分の一が殺されたにすぎないアウシュヴィッツだけに注目が集まった。西欧、アメリカの歴史家や記念祭主催者は、アウシュヴィッツの東でおよそ五〇〇万人のユダヤ人とおよそ五〇〇万人の非ユダヤ人がナチスによって殺された事実をあっさり無視して、誤った方向でスターリニストの歪曲を訂正する傾向にあったのだ。ヨーロッパ人もその他の地域の多くの人々も、ホロコーストを忘れてはならないという点で意見の一致を見てはいたが、東欧ではユダヤという特殊性を否定され、西欧では地理的条件で外されて、ほんとうの意味ではヨーロッパ史の一部にはならなかったのである。
 スターリンの帝国はヒトラーの帝国と重なっていた。鉄のカーテンは西と東のあいだだけではなく生者と死者のあいだにもおろされた。そのカーテンがあがったいま、われわれは、望めばヒトラーとスターリンの狭間のヨーロッパ史を見ることができるかもしれない。 pp.230-232
 
by ka2ka55 | 2015-11-26 08:04 | ニュース | Comments(0)

気になるオペラ演出(39)ローエングリン@サンパウロ(15年10月8日プルミエ)演出: H.ブロックハウス

▼演出:ヘニング・ブロックハウス(Henning Brockhaus, 1946-, 独)
ホームページも存在するが、言語がなぜかイタリア語のみのため略歴については、2008年にNNTTで《トゥーランドット》が上演された際のスタッフ紹介の「プロフィール」を転載させてもらう。
1946年プレッテンベルク(ドイツ)生まれ。デトモルト音楽大学でクラリネットを学んだ後、ベルリン自由大学で哲学、演劇、音楽を学ぶ。75年から83年までハンブルクとミラノのピッコロ劇場でジョルジョ・ストレーラーの助手を務める。84年から89年までパリのヨーロッパ座とオデオン座のドラマツゥルグ兼演出家として様々な演劇作品を手がける。オペラでは、マチェラータ音楽祭、ローマ歌劇場、ボローニャ歌劇場、東京などで『リゴレット』『椿姫』『オテロ』『マクベス』『ランメルモールのルチア』などを演出。また、オペラ・演劇制作の分野で教鞭も執っている。新国立劇場初登場。
NNTTで上演された《トゥーランドット》(公演記録)はオリジナルではなくレンタルだったせいか、その後再演されることはないが、個人的には非常に気に入った(好きな)プロダクションである。昨今もてはやされる(?)衣装などを含めてモノクロの陰気臭い舞台とは違い、カラフルというか、いい意味での猥雑さが漂う演出と言えようか。したがって、最新のプロダクションとしてブラジルのサンパウロ市立劇場で10月(10/8~10/20)に上演された《ローエングリン》は、短いトレーラーを見るかぎりでは、むしろ異色に見えるが、あるいは単に演目のせいか…



以下、「猥雑さが漂う演出」の数々…



《オテロ》全曲@伊ナポリ・サン・カルロ劇場(2014年4月収録)




《椿姫》@カザフスタン・アスタナ・オペラ(2014年10月収録)




《リゴレット》@伊パレルモ・マッシモ劇場(2013年5月収録)

by ka2ka55 | 2015-11-12 00:25 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(15) ― H.シュミット氏の追悼に代えて ―

▼ヘルムート・シュミット(Helmut Schmidt, 1918-2015)氏の追悼に代えて
訃報に便乗するわけでは決してないが、すでに何度も引用している三好範英著『ドイツリスク』の中に故ヘルムート・シュミット氏に関する興味深い記述があるので再び引用したい。
 コールの前の首相であるヘルムート・シュミットは、2015年現在、96歳の高齢でありながら時事的な発言を続ける、ドイツ政界の最長老である。
 2012年2月2日、シュミットが発行人を務める週刊誌「ツァイト」本社に、シュミットを訪ねインタビューした。テーマはユーロではなかったが、日本でも知られた政治家なので、その取材時のシュミットの様子や印象を若干記しておきたい。
                   (中略)
 シュミットはひっきりなしに机の上のたばこ箱からたばこを取り出して口にし、紫煙を吐き出す。火をつけるのはいわゆる「100円ライター」(に見えた)であり、灰皿は上部のつまみを押すと回転して吸い殻が容器の中に落ちる、かつて日本でもよく見かけたものである。
 発言内容は興味深いものだったが、耳が遠いので質問の際は耳元で大声を出さねばならなかったり、記憶の取り違えもあり、さすがに老齢の影は覆いがたかった。発言内容の一部は第5章で触れたい。
 もう一つ、記憶に残るシュミットの姿は、1997年9月3日~6日にチェコ・プラハのプラハ城で行われた「フォーラム2000」という国際シンポジウムでの出来事である。シュミットも討議者として出席していたのだが、正式の討議が終わった後、確か城の廊下だったか、傍聴していた一般の出席者をまじえて、質問を受け付ける場が設けられた。
 そこで、プラハの高校教師と名乗る中年のチェコ人男性が、「我々の国はようやく共産主義体制から脱したばかりだ。どうしたら新たな国造りができるかアドバイスをお願いしたい」という趣旨のことを聞いた。シュミットは強い口調で一言、「自分の国のことは自分で考えろ」と一喝した。安易に他者の助言に頼る姿勢がシュミットの神経を逆なでしたのだろう。お世辞などで取りなすことをしない、いかにも直言居士のシュミットらしい振る舞い、と強く印象づけられた記憶がある。 pp.140-142
以上は「第3章 ユーロがパンドラの箱をあけた」(pp.110-163)からの引用。たばこの件を含めて、いかにもシュミット氏らしいエピソードだと思うが、それにしても、じつに貴重なインタビューと言えるかもしれない。以下は具体的なインタビューの内容を含む「第5章 中国に共鳴するドイツの歴史観」(pp.190-230)からの引用。
 歴史認識問題での、日本に対する否定的イメージは根深い。
 ヘルムート・シュミット元首相の回顧録に日本、中国に関する章があるが、「1960年代に日本政府は(中略)近隣諸国との間の政治的、心理的な溝を埋める努力を始めたが、これまで僅かな成果しか上がっていない。その何よりの理由は、日本人には明らかに罪の意識が欠けていることにある*22」と断定している件(くだり)がある。
 シュミットは大学の卒業論文のテーマに、日本の通貨改革をテーマに選んでおり、日本理解者と自任しているのであろう。シュミットは首相辞任後の言論人としての長い活動の中でしばしば日本に言及している。
 第3章で言及した、2012年2月2日に私がハンブルクで行ったインタビューでも、シュミットは私が日本に関して質問したわけではないのに、次の様に述べて日本を批判した。
 「ドイツはヨーロッパ共同体をよりどころにしたが、日本はアメリカとの同盟だけに頼った。日本は東アジアに友人はいないが、それはもっぱら日本の責任による。ドイツはフランスの広範囲の好意があったが、日本には近隣諸国のそうした好意はなかった。それがドイツが日本より外交の自由度を持っている理由だ。日本は日本帝国主義に関する近隣諸国への十分な謝罪をしなかった。靖国神社は日本の孤立化のシンボルだ。もしかすると徳川250年の鎖国政策が日本人の心理に影響を与えているのかもしれない。謝罪する一方で靖国神社参拝も行われた。それは大きな間違いだ」
 この「罪の意識に欠ける日本人」像は、シュミットが発行人を務めている「ツァイト」紙などで繰り返し語られ、歴史認識問題で日本を断罪する上での原型を形作っているのである。
 こうしたマイナスイメージの発端がいつまで遡るのかは分からない。シュミット自身がこうしたイメージ形成の一つの嚆矢だったかもしれない。日本がヨーロッパの産業競争力に追いつき、1980年代の日本と欧州共同体(EC)間の激しい貿易摩擦を経て、追い越す過程の中で生まれた対日脅威論も、日本のマイナスイメージに結びついた。 pp.220-222
日本の「リベラル」クラスタが喝采しそうなシュミット氏の日本批判ではあるが、さすがのシュミット氏であっても多少の事実誤認もしくは「思い込み」は否めない。三好氏もこの点については以下のように指摘する。
 私には歴史的な考察は手に余るが、ただ、ドイツ人の日本理解の水準を、我々日本人のドイツ理解の水準で類推すると間違う。近代化の過程でヨーロッパを貪欲に理解しようとした日本と同じような歴史的経験は、ドイツのアジア理解の過程にはなかった。ドイツの日本研究は、日本のドイツ研究に比べ貧弱であり、日本に対する深い理解を基礎とするアカデミズムやジャーナリズムの言説は、ごく少数である。 p.222
尚、シュミット氏の卒論(経済学士)のタイトルは「日本とドイツにおける通貨改革の比較」だったようである。
• 1946-1949
Studium der Volkswirtschaft und Staatswissenschaft in Hamburg, unter anderem bei dem späteren Bundeswirtschaftsminister Karl Schiller (SPD).
Abschluss als Diplomvolkswirt mit der Arbeit “Die Währungsreformen in Japan und Deutschland im Vergleich”.
http://www.vol.at/helmut-schmidt-ist-tot/4514466

by ka2ka55 | 2015-11-11 12:33 | ニュース | Comments(0)

訃報: 元西独首相ヘルムート・シュミット氏死去

タイトル通り、西ドイツ時代に首相(1974-1982)を務めたヘルムート・シュミット(Helmut Schmidt)氏が10日(火)(現地時間10日14時45分頃)(出身地でもある)ハンブルクで死去しました。96歳でした。
個人的には初めてドイツ(西独)に渡った当時の首相であり、1982年10月1日の歴史的な「建設的不信任決議」成立とともにコール政権に交代する様子をリアルタイムで見ていたこともあり、最も思い出深いドイツの政治家と言っても過言ではありません。
当ブログでは2008年に1度だけタバコ絡みで記事にしたことがありますが、シュミット氏といえば、やはりヘビー(チェーン)スモーカーとして有名でした。つい最近たまたま見つけた、約半年前(4月28日)に収録されたインタビュー動画でも、冒頭からタバコの話題だったので思わず苦笑した次第…安からにお眠りください(Ruhe in Frieden)



<2015年4月28日収録>




<1982年10月1日収録(政権交代時の不信任投票に関する演説)>

by ka2ka55 | 2015-11-11 00:50 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(14)

▼ドイツから見た日本の取り組み/ハンス・マーティン・クレーマ(その4)
その3)のつづき
最後に、「文化主義的な系統をも継承すると同時に、新たな説明を試みている(最近になって登場してきた)二つの論考」が紹介されている。
一つは、既に言及した二〇〇四年のキッテルの論考である(その1を参照)。氏は、まずドイツとの違いを外交関係上説明している。アメリカの保護を受けた日本は、東ドイツとの競争に立つ連邦共和国と異なり、過去の清算を促す外圧があまり大きくなかった。それに加えて、戦後政治家の経験もまた重要な要因として挙げられる。ドイツのキリスト教民主同盟も社会民主党も、ナチス下の圧迫や暴力をみずから経験した党員が多かったのに対して、日本の保守政治家も社会主義政治家も、このような個人的な体験がほとんどなかった。また、社会党にせよ学生運動にせよ、日本の左翼にとっては、「過去の克服」よりもむしろ反アメリカ運動の方がはるかに重要な抵抗運動であって、これもまたドイツの状況と違う。 p.236
たしかに、これらは無視できない要因/違いであり、これらを無視して取って付けたように(ドイツを見習えとばかりに)「過去の克服」を唱えても説得力があるはずがない。しかし、説得力のある要因を挙げるキッテル氏ではあるが、本人も満足できていないかのように、最後にあらためて「日本とドイツはなぜこれほど違うのか」を問う。
前の説明と無関係にここで浮かんでくるのは、やはり「神道的対キリスト教的メンタリティの根深い相違」である。「アジアの文明には、キリスト教の影響下にある西洋で固く信じられているカタルシス効果や想起の作業の必然性が、未知」であり、結論として、「プロテスタント的な罪の意識」に満ちている西洋は単にそれだけでは「神道的な日本」のモデルにはなれない、とキッテルは言う。 p.236
「プロテスタント的な罪の意識」というと、「あれこれ(10)」で紹介した牧師のガウク大統領の演説が想起されるが…
また、「もう一つ、これに類した論旨をもつドイツ人の歴史家が執筆した論文が、つい最近になって日本語で刊行された」として紹介されているマンフレード・ヘットリング(Manfred Hettling)氏とティノ・シェルツ(Tino Schölz)氏の論文(「過去との断絶と連続―一九四五年以降のドイツと日本にける過去との取り組み」)は、「あれこれ(3)」で紹介した論文である。
氏らは両国の相違の「説明要因」として、「一 異なる過去」、「二 外交上の条件の相違」、「三 文化的な解釈枠組みの相違」を挙げている。第二の点はキッテル論と近いが、ヘットリング/シェルツが強調するのは、第一点で、戦時下犯罪の規模の決定的な違いである。 p.237
この点も無視できない、いや決して無視してはならない違いであろう。この点を無視して「日本の劣位=ドイツの優位」を主張することは、まったくのお門違いと言わざるを得ない。
つまり、「ナチ・ドイツの犯罪はその本質(中略)においても、その抑圧・絶滅機構という点でも前例のない犯罪であった」が、日本の犯罪の「大部分は結局は戦闘行為に含まれるものであ」り、「一九三〇年代、四〇年代の日本の戦争遂行は第一次世界大戦期の[ヨーロッパの、引用者註]東部戦線やかつての植民地戦争などで見られたものと多くの点で似通っている」。そのためドイツでは、「日本のように一九四五年以前に起こったことを通念的に理解される戦争に還元するのは不可能であり、政治体制の責任を考えることは避けようもなかった」。この論点は、おそらく日本で修正主義者以外の論者が取れない立場であろうという点で面白い。日本の進歩側が要求しているのは、まさにその政治体制の責任なのであり、責任を避けてよいという結論をどうしても許さない。それゆえ、戦争犯罪の規模の違いを知性上は理解しても、作戦上は認めることができないのであろう。  p.237(強調はka2ka)
ナチ・ドイツの「前例のない犯罪」と日本の「通常の戦争犯罪」を比較することはそもそも無理であり、無意味でさえあることはすでに一般に指摘されており、あのヴァイツゼッカー氏ですら「日独両国には、類似点とともに歴史の連続性、文化、社会、政治体制の構造の面などで大きな相違点があり、したがって『二つの国を比較するのは大変に困難なことです。両国を横に並べて比較することには大いに自制しなくてはなりません』と忠告」していたのである(「あれこれ(1)」の冒頭の記事を参照)。
 しかしながら、ヘットリング/シェルツの論もまた、客観的な説明と本質主義的な推測とが混在していると言わざるを得ない。キッテルの論より多少洗練されたのは確実だが、ドイツの例は「反省」、「告白」、「浄化」、「悔い改め」、「懺悔」などのようなキリスト教的なカテゴリーしか把握できないというヘットリング/シェルツの結論は疑わしいと思われる。「(総)懺悔」という仏教の概念が過去との取り組みにあまり影響していないというのは事実だが、そもそもなぜ宗教が必要なのか、宗教を抜きにした過去との取り組みが不可能なのかという疑問に対して、ヘットリング/シェルツは応じていない。 pp.237-238
たしかに、「過去との取り組み」に関連して、なぜか日本では宗教的な観点から論じられることはほとんどないように思える。一方、"Schuld"(責任・罪)を多用するガウク大統領の演説には(氏が牧師であるから余計に)宗教臭を感じずにはいられない。ちなみに"Schuld"にはニーチェが嫌った「負い目」の意味があり、複数(Schulden)では「負債・借金」の意味になる。
 ここで「文化主義」または「本質主義」と性格づけた傾向にもかかわらず、キッテルやヘットリング/シェルツの論考は、従来のドイツ優位対日本劣位という二分法を超える点で大いに歓迎せねばならないのは確かであろう。古い二分法がどのように成り立ったかを考えると、最初に学術言説に登場して以来、約二〇年の期間を経て、ようやくマスメディアの主流になったというパターンが浮かび上がってくる。キッテルやヘットリング/シェルツの論考を、日本の過去との取り組みについてのドイツの新しい議論として認めるならば、将来にもっと幅広く大衆報道にまで取り上げられていく可能性もないわけではない。このようなステレオタイプを要しない議論が、ドイツでも日本でも主流となる日が来ることを、筆者は望んでいる。 p.238
とH.M.クレーマ教授は結んでいるが、果たしてどうか…「二分法」や「ステレオタイプ」をマスメディアや大衆が好むのは相変わらずではないかと思えてならない。
(了)
by ka2ka55 | 2015-11-10 17:53 | ニュース | Comments(0)

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(13)

▼ドイツから見た日本の取り組み/ハンス・マーティン・クレーマ(その3)
その2)のつづき

*本論文を執筆した時点では「ボッフム大学日本学准教授」(2008年から2012年まで)だったため「H.M.クレーマ准教授」としていましたが、念のため調べてみると、2012年からはハイデルベルク大学日本学(歴史/社会を重点研究)教授(Professor für Japanologie (Schwerpunkt Geschichte/Gesellschaft) an der Universität Heidelberg)とのことなので、以下、「H.M.クレーマ教授」とします。

「日本の劣位=ドイツの優位」という図式(トポス)は、ドイツ統一(1990年)後にイアン・ブルマ氏の著書『戦争の記憶―日本人とドイツ人』(1994年)を契機にマスメディアを通じて現れたとH.M.クレーマ教授は述べるのだが、「実際には、マスメディア以外の発表も視野に入れるならば、それ以前にも存在していなかったわけではない」として2つの例を挙げている。
 筆者の把握している最も古い例は、現代ドイツ史家のマルティン・ブロシャートの一九七四年の記事である。ドイツ現代史の主要雑誌『Vierteljahrshefte für Zeitgeschichte』にしては稀な、日本を主題とした記事で、ブロシャートが講演会や専門家ワークショップを行うための日本旅行から帰国した後に書かれたものである。ブロシャートは、自ら認めるように「方法的に反駁しやすくて、断片的な印象」として、日本の現代史研究の業績、現代史研究に利用できる文書館、研究機関などを羅列し、それらの性格が満足から程遠いものであると指摘したうえで、特にドイツ歴史家の目から見るとどれほど驚くべきであるかと述べている。さらには、この所見が過去との取り組みと無関係ではないと主張する。「日本現代史研究の欠陥は偶然の現象ではないと考えている。その欠陥はむしろ、ドイツと比較して政治的方面においても戦前の政治と社会から取られた距離が不十分であることと密接に結びついている」。ブロシャートの分析はこのような示唆をもってそれ以上深く検討せず、ドイツと日本の差異がなぜ存在するのかというより根本的な問題に立ち入ろうとはしない。 p.234
一方、マルティン・ブロシャート氏(Martin Broszat)の記事(原題: Zeitgeschichte in Japan)に比べて学術的なものではないが、5年後(1979年)にはドイツ公共テレビの東アジア特派員ゲルハルト・ダンプマン(Gerhard Dambmann)氏が、「ポピュラーな本としては割と長めで、深く掘り下げて論じられた『孤立する大国ニッポン』(原題:『25 mal Japan: Weltmacht als Einzelgänger』)を出版し、その中でダンプマン氏は、「ドイツと日本の差異を述べるだけにとどまらず、初めてその理由を試みている」という。
二五の短い章からなる本書の一つの章は、「過去の克服―天皇擁護論」と題されている。一九八五年刊行の新版において、真珠湾への攻撃、第二次世界大戦下の日本による虐殺や戦争犯罪から、東京裁判、岸内閣および一九八二年の教科書問題に至る日本の戦時戦後史を簡単に紹介した後、次のように総括する。「日本とドイツ連邦との対比があまりにも顕著である。西ドイツで、第三帝国の犯罪を法的、または倫理的な道で完全に整理することに成功したわけではないと主張する者も、数多くの取り組みや善意の試み、弁償の努力、熱心な戦争責任についての公論、現在に至る諸訴訟などを否定することはできない」。ここから読み取れるように、ダンプマンの立場を今の世論と比べると、日本への判断についてはさほど異なるわけではないが、ドイツの成果についてははるかに慎重である。これは一九八九年以前の冷戦下における西ドイツのインテリの典型例で、西ドイツを過剰に肯定することを避けようとしたものである。 p.235 (強調はka2ka)
なるほど「理由」を明らかにするにしても統一前の段階では「慎重」にならざるを得ない理由が(強調部分によって)頷けるわけだが、しかしながらダンプマン氏の分析に対するH.M.クレーマ教授の評価はけっして高くはなく、むしろ批判的である。
ダンプマンは、真面目な戦争責任論が戦後日本に成立していなかったと述べ、その原因を次のように分析している。「このような無関心の主因は、日本人の考え方、日本人の相対的道徳観に由来するだろう。日本人が第二次世界大戦中なしたことの全ては、最も高尚で、最も総合的な集団(ウチ)である日本国民のためになしたのである。この集団に属していない者(ソト)への影響はともかくとして、勇ましくて没我的に国民に奉仕することだけが、最高道徳の行為かのように見えた」。強制連行の犠牲者や被爆者となった韓国人に対する日本政府の待遇を批判する、ダンプマンの鋭い政治批判も、このように表面的な、結局は旧式のルース・ベネディクトの『菊と刀』に辿ることのできる文化主義的な説明を加えたことによって、その価値が損なわれていると言わざるを得ない。 pp.235-236
(つづく)
by ka2ka55 | 2015-11-10 03:00 | ニュース | Comments(0)