Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

作曲家&指揮者マンフレート・グルリットを知らなければ日本人オペラ愛好家として恥である!

タイトルはいささかセンセーショナル(?)ではあるが、けっして巫山戯ているわけではない。ドイツ生まれの舞台音楽とオペラの作曲家・指揮者マンフレート・グルリットManfred Gurlitt, 1890-1972)については、私じしん約6年前(2010-05-14)に記事(Nana@Erfurt)にしたときに初めて知ったのだが、Wikiの記事にあるように「日本洋楽の功労者」であることは間違いない。すこし長くなるが、あらためて同記事の「略歴」を以下に引用。
ベルリンの富裕な家庭に生まれる。一族は教育界や楽壇・画壇で活躍する名家であり、大叔父にピアニストで、ピアノ教材で有名な作曲家のコルネリウス・グルリットがいる。
エンゲルベルト・フンパーディンクに作曲を学び、楽長となるべく教育を受ける。ブレーメン劇場で活躍した後、ベルリンで国立歌劇場の客演指揮者と高等音楽学校の教師を務めた。
1933年に頽廃芸術のレッテルを貼られたため、政治的な無定見からユダヤ系にもかかわらずナチスに入党。これが後に汚点となり、戦後にドイツ楽壇への復帰を断念せざるを得なくなる。1937年、ユダヤ人であるために党員資格を剥奪されてナチス政権からの逃亡を目論み、東京音楽学校からの打診に応じようとするが、ナチスの妨害に遭った。1939年に近衛秀麿の求めでようやくドイツを脱出、中央交響楽団の常任指揮者を勤めるかたわら、東京音楽学校の非常勤講師の資格を得た。1941年より藤原義江歌劇団の常任指揮者に就任。戦時中から戦後にかけて、数多くのオペラを指揮、多くは日本初演であった。1952年にオペラ歌手の日高久子と結婚、グルリット・オペラ協会を発足させた。また、同年に設立された二期会の指導にも着手した。また、戦時中からオペラだけでなく、自作を含む器楽曲を数多く上演している。戦後は、演奏活動のかたわら、英字紙に音楽評論の寄稿も行なった。戦後、かつてナチスドイツ政府から受けた誹謗に対して名誉回復の裁判を起こしたが、ナチ党員としての過去を問題にされ、1957年に敗訴した。東京にて他界。
いろんな意味で興味深い経歴なのだが、それはともかく、今回注目したのは、昨日(3/5)ドイツのブレーマーハーフェン市立劇場(Stadttheater Bremerhaven)でプルミエとして上演されたオペラ《ヴォツェック(WOZZECK)》に関するレヴュー記事("Wozzeck" von Manfred Gurlitt)が目にとまったから。そう、同記事にもあるように、アルバン・ベルクの《ヴォツェック》はどこの歌劇場でも頻繁に上演されているが、マンフレート・グルリットの《ヴォツェック》は(音楽的クオリティーは高いにもかかわらず)滅多に上演されないのである。
Die Oper "Wozzeck" von Alban Berg steht des Öfteren auf den Spielplänen der Musiktheater – so auch gerade in Bremen. Die gleichnamige Oper von Manfred Gurlitt wird dagegen so gut wie nie gespielt, obwohl sie nach Meinung von Fachleuten von hoher musikalischer Qualität ist.

▼参考動画(音源のみ)


by ka2ka55 | 2016-03-06 11:22 | オペラ | Comments(0)