Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

日独合作『新しき土(Die Tochter des Samurai)』(1937)を観る―原節子(1920-2015)の追悼に代えて―

原節子Setsuko Hara, 17.06.1920 in Yokohama, Japan - 05.09.2015)
>> Ihr Tod ist, wie ihr Leben, nur ein Gerücht(彼女の死は、その人生のように、ただの噂にすぎない)<<(DIE WELTの11月25日付記事Ihre Erotik war die der Unerreichbarkeit*)より) … 「人の噂も七十五日」などと言うが、原節子、本名=会田昌江さん(享年95)の死が公にされた日(11/25)は、実際に死んだ日(9/5)から優に七十五日以上経っていた。一方、ドイツ発の同記事は、日本で彼女の死が公にされてから異例の速さ(約5時間後)で掲載され、しかも単なる死亡記事以上に詳しい内容になっているが、当然と言うべきか、1937年に公開された日独合作映画『新しき土(独題:Die Tochter des Samurai(侍の娘))』については、とりわけ詳しい。
*直訳すると「彼女のエロティシズムは到達不可能性のそれだった」
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原節子にはもともとそれほど関心があるわけではなかった(いくつかの代表的な作品すらマトモに観ていない)私としては、こんな映画が存在していることすら知らなかったのだが、よりによって日独合作ということもあり、興味を惹かれずにはいられない。そこで、あらためて調べて意外だったのは、原節子の出演映画(108本と言われている)の約半数近くが1945年以前に制作されていること。正確には1935年から10年間に50本余りに出演しているのだが、『新しき土』は(たぶん)12本目の作品。そして後にも先にも外国との唯一の合作。監督はアーノルト・ファンクArnord Fank, 1889-1974)という山岳映画のスター監督であり、若きレニ・リーフェンシュタールLeni Riefenstahl, 1902-2003)が出演した『聖山(Der heilige Berg)』(1926年公開)などを撮っている(参考動画)が、ナチス信奉者でもあった。つまり、このようなドイツの監督によって『新しき土』が1936年から1937年にかけて制作されたということは、ただの映画ではないことは明らか。以下、Wikiの記事からの引用:
新しき土とは満州のことを指しており、唐突なラストシーンも日本の満州進出を喧伝するものになっている。一方でこの映画の製作背景には、日本とナチス・ドイツの政治的・軍事的接近の目論見があった。ナチスの人種主義では有色人種を良く思っていなかったため、ドイツ側は日本のイメージを持ち上げることで同盟の正当性を主張しようとしたのである。折りしも日独合作映画を企画していた川喜多長政とアーノルド・ファンクにドイツ政府が働きかけた結果、この映画の製作となった。1936年2月8日の撮影隊の訪日には日独軍事協定締結交渉の秘密使命を戴したフリードリヒ・ハックが同行、同年11月25日に日独防共協定が締結に至った。1937年3月23日に公開されたドイツでは、宣伝省の通達によりヨーゼフ・ゲッベルスとアドルフ・ヒトラーが自ら検閲して最終許可を与えたことが大々的に報じられた。ただし、ゲッベルスは日記で「日本の生活や考え方を知るのに良い」と評価する一方で、「我慢できないほど長い」と不満を述べている。
ところで、共同制作者として加わった日本側の監督は伊丹万作(1900-1946)だったが、非政治的でリベラルな伊丹は当初からファンクとは意見が合わず軋轢が生じ、結果としてファンク版(ドイツ版)と伊丹版(米英版)の異なるバージョンが制作されることになった。そして両作品とも1937年に東京で公開されたが、興行的には、ファンク版は大成功し、伊丹版は失敗(Flop)に終わったという。ちなみにストーリーは以下の通り:
ドイツに留学していたエリート青年輝雄は、恋人であり記者でもあるゲルダを引きつれて日本に帰国する。しかし、輝雄には許婚の光子がいた。光子や義父である巌は彼を暖かく迎えるが、西洋文明に浸った輝雄は光子に愛情を向けるどころか、許婚を古い慣習として婚約を解消しようとする。そうした輝雄の姿勢を非難するゲルダ。絶望した光子は、花嫁衣装を手に浅間山に身を投げようとする。



これがファンク版の完全版と思われるが、作品としての評価はともかく、光子役の原節子(撮影当時16歳)の初々しさもさることながら、ちゃんと聞き取れるドイツ語を(吹き替えなしに)話しているシーンが実に興味深い。また、同映画に関連して、四方田犬彦氏は以下のように述べている。
「後日彼女は西洋人風の体躯と容貌をもった女優として日本で神話化されるが、ここではオリエンタリストとしてのファンクの夢を十全にかなえてくれる『典型的日本女性』として出現した。日本人はその後も、彼女をめぐるこの映像の矛盾につきあわされることになった。ともあれ原節子はファシストの美少女として、三〇年代後半から戦時中にかけて大きな活躍をした」(四方田犬彦『日本映画史110年』集英社新書 2014年p.97f)。


ちなみにゲルダ役のルート・エヴェラー(Ruth Eweler, 1913-1947)については、あまり知られていないが、ナチ政権下の1933年から1943年の10年間に約20本の作品に出演し、原節子と共演した時の年齢は23歳前後。戦後の供給が逼迫したベルリンで34歳の若さで死んだ原因は不明とのこと。
by ka2ka55 | 2015-11-28 14:05 | 映画/DVD | Comments(0)