Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(10)

Schuldstolzとは…
8)で引用した『ドイツリスク』の中の一節:
 一方で、歴史認識に関しドイツ知識人が抱く屈折した心理が存在する。第2次大戦後、ナチ・ドイツによる蛮行に対する国際社会の厳しい非難はドイツ知識人を苦しめたから、その心理的補償を得るには、「過去の克服」を徹底してそれを誇る、といった屈折した形をとった面があるのではないか。ドイツ語に「罪を誇る」(Schuldstolz)という言葉があるが、戦争に伴うすべてをドイツの責任として受け入れて謝罪することを続けているうちに、ドイツ人は、逆説的だが、過去の克服に関して、倫理的な高みを獲得したと信じ込むようになった。いわば「贖罪のイデオロギー化」が起こったのである。(強調はka2ka)
この言葉(名詞)は知らなかったのだが、念のため調べてみると、手元の複数の辞書にはなく、オンラインのDUDENを検索してもヒットしない。しかし、辞書にない単語は珍しくなく、この単語も既存の語から成る造語(Schuld+Stolz)であることは明らかなので意味も容易に推定できる(ちなみに"Schuldstolz"ですぐに連想したのは、"Schuldfrage"という言葉(Schuld+Frageの合成語)。これは哲学者カール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers, 1883-1969)の『責罪論』または『戦争の罪を問う』の邦題で刊行されている著作の原題だが、もともと「(被告の)有罪か無罪かの問題」を意味する法律用語でもあり、辞書にちゃんと載っている)。
ところで、"Schuldstolz"をネットでさらに検索してみると、今年(2015年)の1月27日にドイツ連邦議会で行われたガウク大統領の演説に関する記事がヒットした。この日はアウシュヴィッツ(Auschwitz)強制収容所解放から70周年を迎えた日に当たり、演説はそれを記念して行われたもので原文と動画は以下のとおり。



演説の途中で何度か拍手が起こるが、たとえば後段(動画では22分20秒前後から)の以下の箇所:
Gewiss werden nachfolgende Generationen neue Formen des Gedenkens suchen. Und mag der Holocaust auch nicht mehr für alle Bürger zu den Kernelementen deutscher Identität zählen, so gilt doch weiterhin: Es gibt keine deutsche Identität ohne Auschwitz. Die Erinnerung an den Holocaust bleibt eine Sache aller Bürger, die in Deutschland leben.(Beifall)
[参考訳]
きっと後続の世代は新しい記念の形を追求することになるでしょう。またホロコーストもすべての市民にとってドイツのアイデンティティの核心要素の一部とはもうみなされないかもしれません。しかし、引き続き言えること、すなわち、アウシュヴィッツなしにドイツのアイデンティティは存在しません。ホロコーストを記憶することは、ドイツで暮らすすべての市民のあくまでも責務なのです。(拍手)(強調はka2ka)
強調箇所(Es gibt keine deutsche Identität ohne Auschwitz)は、この演説のいわば核心であり、多くのメディアがこれを見出しにしたり引用したりしている。ざっと見渡すと概ね肯定的ではあるが、中には、これを否定的に捉える向きもあり、ヒットした記事はその1つで、「Gauck instrumentalisiert Auschwitz für den neuen deutschen Nationalismus(ガウクはアウシュヴィッツを新しいドイツのナショナリズムに利用している」とある。そして、こうした大統領の見解を"Schuldstolz(罪を誇る)"とみなしているというわけ。しかし、これはどちらかといえば「右派」が好んで用いる語のようであり、そのために一般の辞書には採用されていない可能性もある(ちなみに同様の文脈で用いられる類語として"Schuldlust(罪の喜び)"などというのもある)。
ガウク大統領は牧師ということもあるせいか、演説は講話もしくは説教のように聞こえなくもない。さすがに"Sünde(宗教上・道徳上の罪)"という語は用いていないが、"Schuld"を多用していることは間違いない。ラルフ・ジョルダーノ(Ralph Giordano, 1923-2014)の『第二の罪(Die zweite Schuld)』を引用している箇所もあり、「アウシュヴィッツは特異なものであった」という点は、どうしても譲れないのかもしれない。
by ka2ka55 | 2015-11-08 03:01 | ニュース