Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(5)

隗より始めよ・三浦淳のブログ「読書/熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書、2015年7月)」より
 次に、本書の同意しかねる箇所について述べる。それは第2章と第3章で、歴史認識と外交に触れた箇所である。
 この点については、著者はかつての日本でも(ろくに両国の相違を知らないまま)流行した「ドイツに見習え」論に今なお盲従しており、きわめて古くさい認識にとどまっていると言わざるを得ない。

 例えば、著者は2008年にメルケル首相が戦後初めてイスラエル議会で歴史認識を含めて演説したことに触れて、「日本の首相が韓国の議会で歴史認識について演説するようなものだ」と述べている(35ページ)。
 どうしてそういう比較ができるのか。ドイツがユダヤ人に対して行ったことは、民族の殲滅行為である。ユダヤ人すべてを地上から消し去ろうとしたのだ。他方、日本が韓国に対して行ったのは併合である。別に韓国人すべてを地上から殲滅しようとしたわけではない。全然違うものを同一視するところに、すでに著者の知的レベルの低さというか、過去に日本で流行した「ドイツに見習え」論がなぜ下火になったのかをまったく理解していない、ジャーナリスト失格の不勉強ぶりが露呈している。

 この後も、著者は日本とドイツの違いを無視して「ドイツに見習え」論を展開する。ホロコーストでは600万人のユダヤ人が殺されたというのが通説で、ただし600万人という数字には異論もあるわけだが、ドイツとイスラエルの間ではこの数値を問題にしないという合意があるのだという。それは「ホロコーストに比べられる犯罪行為は、ナチスの前にも後にもない」という理解があるからだという(44-45ページ)。と書きながら、著者はなぜか南京虐殺事件の犠牲者数をめぐる議論を持ち出すのである。論理が撞着していることに、著者自身が気づいていないようだ。
 なぜなら、著者自身書いているように、ホロコーストとは「比べられる犯罪行為が存在しない」出来事だからだ。南京虐殺の犠牲者数についてはたしかに議論があるが、それは南京虐殺が(相当数の犠牲者を出したことを認めるとしても)戦争に伴う大量虐殺の一つであり、ホロコーストとは質的にまったく異なる事件だからである。比べられないものを比較している時点で、すでに著者はアウトなのである。

 ちなみに、政治の歴史的認識と、学問の歴史認識は別だということは著者も分かっているようだが、学問の歴史認識が進展すれば、それは政治にも影響することになるだろう。
 ホロコーストがナチスだけに責任を押しつけて済むものではないということは、近年の研究の進展で明らかになっている。ホロコーストは、ナチスの親衛隊(SS)だけがやったのではなく、ドイツの普通の軍隊である国防軍も関わっていたことが最近分かってきているのである。昔は、「ユダヤ人虐殺などの犯罪行為をしたのはSSで、国防軍は普通の戦争を正々堂々と戦ったのだ」と言われていたが、これが虚偽だと分かってきているのだ。さらに、ホロコーストがドイツ人だけの責任かというと、実際はドイツ軍の占領した地域の住民などが積極的に協力していたことも分かってきている。フランスはそれで謝罪もしているわけだが、していないポーランドやウクライナやリトアニアも相当に責任がある。(以上については、ダン・ストーン『ホロコースト・スタディーズ』〔白水社、2012年〕を参照すること。)ナチスをドイツと切り離すやり方の欺瞞性はもちろん、ドイツだけに責任を負わせる思考法も欺瞞的なのである。

 また、著者は触れていないが、ドイツはやってもいない事件についてそれを認めたり謝罪したりするような真似はしていない。カチンの森事件などその典型だ。第二次大戦中にポーランド人将校が多数殺戮されたこの事件は、戦後長らくソ連の犯行かドイツの犯行か分からないままだった。しかし「戦勝国・ソ連」がドイツの犯行だと主張していたのに対して、ドイツはあくまで「ソ連の犯行」として譲らなかったのである。そしてソ連崩壊の直前、ペレストロイカの頃の情報公開により、ソ連の犯行だったことが明らかになったのである。

 こういうところについてこそ、まさに「ドイツに見習え」論を展開するべきだろうに、著者は韓国のいわゆる従軍慰安婦問題について、朝日新聞の誤報を認めながら、どういうわけか慰安婦の数は問題ではないなどとしたり、慰安婦がいたことをもってしてすでに問題だとしている(97ページ以下)。この辺も、売春は戦前戦中は合法だったこと、いや、戦後になっても韓国には売春婦が少なからずいたことなどの常識を無視した言い分だろう。いや、売春がそももそいけないと著者が思うならそう主張しても構わないが、なぜか著者は現代のヨーロッパではドイツを含めて多数の国で売春が合法化されていることに触れていない。不勉強のせいか、あるいは政治的に偏向しているせいか。

三浦 淳 新潟大学教授(2015年08月09日)

引用元: http://blog.livedoor.jp/amiur0358/archives/1036555223.html
▼関連記事
・図書: ダン・ストーン著/武井 彩佳 訳『ホロコースト・スタディーズ』(白水社)(2012年11月)
・書評(三浦淳)(2013年06月)
評価★★★★☆ 大学院の授業で学生と一緒に読んだ本。 著者はロンドン大学歴史学部教授。 ナチのユダヤ人虐殺については膨大な文献があるが、膨大すぎて専門家でもなかなか文献の全体を、そしてこの問題の各方面を細部に至るまでを見通すことが難しくなっているという。 本書は最新の文献を紹介しつつ過去の研究経緯にも触れながら、現段階においてホロコーストについての最新の認識が得られる貴重な本。 記述は上記のように色々な方面に及ぶが、東欧の文書館の資料が近年公開されてきたことで、地域ごとの相違がかなりはっきりしてきたということのようである。 また、以前はヒトラーやその側近の指令でホロコーストが行われたという、いわゆる意図派の主張が強かったが、近年は、事態はそれほど単純ではなく、むろんヒトラーや側近の反ユダヤ主義に多くの責任があるものの、ユダヤ人大虐殺に至った経緯は地域ごとの事情なども含めた複雑なもので、こういう見方を機能派というらしいが、こちらの見方が優勢になってきているらしい。 また、1942年のいわゆるヴァンゼー会議も、かつてはこの会議によりヨーロッパユダヤ人絶滅の方針が決定されたとされてきたが、これもそれほど単純には捉えらないということのようである。 要するに、ヨーロッパ全土に及ぶホロコーストは、地域ごとに相違があり、したがってそこに及ぶ過程も 「上が指令したからそうなった」 というような分かりやすいものではないのである。  本書はこのほか、最近研究が進んでいるコロニアリズム研究とのつながりも指摘されており、そもそもホロコーストを唯一無二の絶対的な大事件と見ることが妥当なのか、ヨーロッパ人が植民地で行った現地人に対する大虐殺との比較において捉えるべきではないのか、という見解も紹介されている。 なぜホロコーストはこれほど大事件視され、多くの人間によって研究されるのか――これについて、エメ・ゼセールの痛烈な発言がコロニアリズムとの比較の章のエピグラフとして紹介されている。 「人道主義的かつ篤信家の20世紀ブルジョワが赦さないのは、ヒトラーの犯した罪自体、つまり人間に対する罪、人間に対する辱めの罪それ自体ではなく、白人に対する罪、白人に対する辱めの罪なのであり、それまでアルジェリアのアラブ人、インドのクーリー、アフリカのニグロにしか使われなかった植民地主義的やり方をヨーロッパに適用したことなのである。」   ・・・・なお、訳について細かいことで恐縮ですが、268ページに 「デュルクハイム」 という人名が出てくるけれど、これはデュルケーム (フランスの社会学者の) ではないでしょうか。 
http://miura.k-server.org/newpage219.htm
・エッセイ: Never forget: the Holocaust as history and warning / Mark Mazower(2015年月9月11日付FT)
by ka2ka55 | 2015-10-26 13:42 | ニュース