「ドイツ見習え論」をめぐるあれこれ(1)
1 「ドイツ見習え論」とは?▼関連論文
「ドイツ見習え論」は、1985年5月のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領による戦後40周年演説を契機として日本で広まり、ドイツとの比較が頻繁になされた。しかし、日本国内では次第に日独両国の比較の困難性が理解され、さらに平和主義と密接に結びついていたため、特に1999年ドイツ連邦軍がコソボ紛争に本格的に参戦して以降、下火になっていった。
一方、東アジアにおいては、戦後50年を迎えた1995年前後から、同種の主張がなされており、現在でも続いている。例えば、1995年6月、新華社は、日本の戦後50年決議を論評した中で、「日本とドイツの戦後処理は、天と地ほどの差がある」と指摘していた1。
このような日独比較に対して、かつて町村信孝外相は、ホロコーストの特質やナチスの存在を指摘しつつ、「単純にドイツと比較というのはいかがなものか」と反論を行っていた2。
ドイツの識者は、日本の「過去」への姿勢に対する批判が目立つものの、概ね日独の比較には慎重である。例えば、ヴァイツゼッカー元大統領は、日独両国には、類似点とともに歴史の連続性、文化、社会、政治体制の構造の面などで大きな相違点があり、したがって「二つの国を比較するのは大変に困難なことです。両国を横に並べて比較することには大いに自制しなくてはなりません」と忠告していたのである3。
(庄司 潤一郎 (防衛研究所戦史研究センター長)(2014-05-29)
https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=234
・統一ドイツにおける「過去」の展示と歴史認識-ホロコーストを中心として-庄司 潤一郎
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-2_3.pdf
▼関連動画
(1)板橋拓己 成蹊大学准教授
2015/03/30 に公開
Takumi Itabashi, Associate professor, Seikei University
板橋拓己 成蹊大学准教授が、戦後の西ドイツを率いたアデナウアーの生涯を描いた著書について話し、記者の質問に答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/03/r00030572/
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年4月号に掲載)
現代ドイツを創った政治家を通して日本を見る
西ドイツ初代首相を描いた近著『アデナウアー』(中公新書)を紹介し、戦後ドイツの成立について解説、日本の戦後70年を考える上でも、時宜にかなった会見となった。
アデナウアー(1876~1967、首相在任は49~63)が目指した政策理念として▽欧州連合(EU)につながる西側結合▽自由主義体制の定着▽戦後補償―を挙げる。著者が日本人の視点として独自性を強調したのは、イスラエルとユダヤ人団体への補償を取り上げた点だ。
イスラエルは、ナチス時代の罪や過去を突き付けるナイーブな存在だった。西ドイツが主権を回復し、国際社会に復帰するためには「ナチスの過去」を清算する必要があった。当時、イスラエルにとって「反ドイツ」は国是。西独、イスラエル両国内から批判が出る中、アデナウアーがドイツ人の責任を認め、ユダヤ人への補償に踏み出そうとした点は評価されてもいい、と主張する。
「ドイツの政治家は過去について、どういった言動が許されないか、というコード(規定)を強固に持っている。国際社会を非常に意識している。学んでもいいのでは」と提言した。
東京新聞論説委員
熊倉 逸男
(2)石田勇治 東京大学大学院教授
2015/04/19 に公開
Yuji Ishida, Professor, Graduate school of arts and sciences, The University of Tokyo
東京大学大学院の石田教授が、ドイツの戦後和解の取り組みについて話し、記者の質問に答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/04/r00030759/
会見詳録(文字起こしpdf)
http://www.jnpc.or.jp/files/2015/04/a46b29dc9c7e3e6803226992658af16a.pdf
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報5月号に掲載)
戦後ドイツの和解 その成果と限界は
政治指導者の役割重要
戦後70年を迎え、日本の歴史問題への取り組みをめぐる議論が盛んになり、その中でしばしばドイツが引き合いに出される。戦後ドイツは、周辺国やイスラエルとどのように和解していったのか。
第1回は、ドイツ戦後史に詳しい石田勇治氏が、概論を語った。
西独、そして統一ドイツの「過去の克服」の取り組みは多岐にわたるが、ホロコーストなどナチスが犯した不法に対する補償と、司法訴追が、2つの大きな柱だ。各分野での政策は、政治がその時々の社会的要請や国際的な圧力に応えたもので、多分に「場当たり的」ではあった。
しかし、次第にドイツの過去への取り組みは、国際社会で高い評価を得るようになる。
こうした経緯をたどった要因として、石田氏は、過去への反省を内外に示したブラント首相やヴァイツゼッカー、ラウ両大統領の例を引いて、政治指導者の役割を強調した。
ドイツとイスラエルとの関係を取り上げた武井彩佳氏の話(第2回)は、アデナウアー西独首相の「現実路線」に焦点をあてた点で、新鮮味があった。
ドイツは1952年、アデナウアーの決断で、イスラエルと「ルクセンブルク補償協定」を結んだ。戦後和解プロセスの出発点だ。
武井氏によれば、アデナウアーが国内の反対を押し切って協定締結を推進したのは、「国際情勢を勘案して利益が大きい」との現実的な判断に立ったからだ。
この時期の西独は、戦勝国である米、英、仏との間で、主権回復と再軍備に関する交渉を行っていた。こうした復権が西側戦勝国から認められるためには、イスラエルへの補償を行うことが必要だった。
一方、イスラエルの指導者も、経済的な逼迫を打開するため、ドイツからの補償を受け入れるという現実的な選択をした。
「冷戦の枠組みの中で、和解という方向性が、ドイツ人、ユダヤ人双方のニーズに合っていた」というのが武井氏の要約だ。
第3回の川喜田敦子氏は、ドイツがフランス、ポーランドなどと行っている歴史教育分野での対話を紹介した。対話は、教科書の内容を互いにチェックして誤りや偏見を指摘するという初期段階から、両国関係に関する出来事の共同執筆に進む。
独仏は、「対話の長い積み重ねの上に立ち」21世紀に入って高校生向け共通教科書の刊行にこぎつけた。
ただ、共通教科書は、多分に「派手なパフォーマンスを望む政治」の後押しを受けたものであり、教育現場での採用率は低いとのことだ。
共通教科書を目標とするより、対話を通じて、他国民を傷つけない歴史記述を模索することが重要だというのが、川喜田氏の指摘だ。
いずれの回も活発な質疑応答があった。「ドイツによるユダヤ人への優遇は、イスラム系住民の視点からは、どう捉えられるか」「ドイツとロシアとの歴史対話は可能か」「植民地支配の過去への取り組みは十分か」といったポイントが取り上げられた。いずれも、ホロコーストへの反省に重点を置き進展してきた、ドイツの「過去の克服」の限界や急所をつく疑問である。
議論は、現今の幅広い国際問題と関連付けて、戦後ドイツの歩みをより深く理解しようとする方向に向かったと言える。
読売新聞論説委員
森 千春
*このリポートは、下記同シリーズとの統合版です。
・武井彩佳 学習院女子大学准教授(2015年4月22日)
・川喜田敦子 中央大学教授(2015年4月24日)
(3)武井彩佳 学習院女子大学准教授
2015/04/22 に公開
Ayaka Takei, Associate Professor, Gakushuin Women’s College
学習院女子大学の武井教授が、戦後ドイツとイスラエルの関係やドイツ国内のユダヤ人社会について解説し、記者の質問に答えた。
司会 杉田弘毅 日本記者クラブ企画委員(共同通信)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/04/r00030760/
(4)佐藤健生 拓殖大学教授
2015/05/14 に公開
Takeo Sato, Professor, Takushoku University
拓殖大学の佐藤健生教授が、日独の戦後処理、過去との取り組みを比較しながら解説し、記者の質問に答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/05/r00030762/
会見詳録(文字起こしpdf)
http://www.jnpc.or.jp/files/2015/05/cfbfdcb0b53e49ef7e97847db83981d0.pdf
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年6月号に掲載)
日本との比較の論点 加害者意識欠けるのでは
1968年、ドイツのホームステイ先で、第二次大戦を「日本が3カ月余計に戦った」と妙なほめられ方をされて以来、戦後の日本とドイツの比較を問題意識として持ち続け、第一人者として語り続けてきた歩みを振り返った。日本からドイツを見る目は、故ワイツゼッカー大統領演説をきっかけにした「ドイツ理想視・モデル論」、その反動の「偶像破壊論」などと変遷してきた。自らは、比較し、学び、参考にする、という姿勢だと位置付ける。
日独とも戦時の加害責任を問われるが、ドイツは戦争に対する反省よりもナチズムによる人権侵害への責任意識が強いと指摘。日本は加害者意識が欠けているとし、理由として、日本人は開戦ではなく終戦の視点から戦争をとらえているからだとした。ドイツの「過去の克服」とは、「現在の国家が戦前とは異なることの証を立て続けること」だとし、加害者の追及▽被害者の救済・補償▽再発防止―の3つが補完し合い、同時進行してきたと説明する。日独最大の違いとして、日本は米国さえ何とかすればいいという意識で、アジアへの目配りがおろそかになっていたことを挙げた。
東京新聞・中日新聞論説委員
熊倉 逸男
(5)ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ大使
2015/05/26 に公開
Hans Carl von Werthern, Ambassador to Japan, Germany
フォン・ヴェアテルン大使が、戦後のドイツの取り組みについて話し、記者の質問に答えた。
司会 杉田弘毅 日本記者クラブ企画委員(共同通信)
通訳 ベアーテ・フォン・デア・オステン(ドイツ大使館)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/05/r00030935/
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年6月号に掲載)
「戦争中何をしたのか。父の真実を知る必要があった」
「1960年~70年代、ドイツの若者たちは父親や祖父が戦争中に何をしたか問い詰めた。どんな罪を犯し、どれだけの責任を負っているか、事実を知る必要があった」。大使自身も7、8歳の頃、父親に人を殺したか問うと答えは「ヤー」、ショックだったという。二度と過ちを繰り返さないためには過去を知ることが重要で、前に進むには痛みも伴う。5回にわたったドイツの戦後和解に関する研究会の最後を締めくくる重い言葉だ。
会見のテーマは、ドイツとイスラエルの和解。ユダヤ人絶滅を図った「悪の象徴」ドイツとイスラエルの和解は、ナチスの不法の責任を認め補償を始めたアデナウアーに依るところが大きいが、世代が変わってもぶれることはない。メルケル首相は「イスラエルの安全保障はドイツの国是だ」と演説、ドイツはイスラエルの生存権を守る覚悟があるのだという。世論の反発の中、政治主導の和解の取り組みは「唯一無二の関係」に発展した。
「口で言うより行動だ」。ワルシャワのユダヤ人ゲットーでひざまずいたブラント元首相、戦没者の墓地で手を取り合ったミッテラン・コール仏独首脳。指導者の行動が世界に発信され信頼獲得につながったという。アジアでも不可能ではないというが。
NHK解説委員
二村 伸