本:赤坂真理『東京プリズン』(河出書房新社/2012年7月24日初版発行)
「天皇の戦争責任」が主要なテーマの1つになっているのだが、最後の最後、不覚にも、読みながら嗚咽してしまった。小説というものを嗚咽して読んだのは久しぶり。感極まったというのとはちょっと違うような、どう表現してよいのかわからない。いや参った…以下に一部引用。
「『彼らの過ちの非はすべてこの私にある。子供の非道を詫びるように、私は詫びなければならない。しかし"私の子供たち"に対する気持ちを吐露する人の親であることをつかの間許していただけるなら、やはり、前線の兵士の狂気や跳ねっ返り行動と、民間人を消し去る周到な計画とは別次元であると言おう。そしてこの意味において、東京大空襲や原子爆弾投下は、ナチのホロコーストと同じ次元だと言おう。だからといって何も我がほうを正当化はしない。が、前線で極限状態の者は狂気に襲われうる。彼らが狂気のほうに身をゆだねてしまったときの拠り所が、私であり、私の名であったことを、私は恥じ、悔い、私の名においてそれを止められなかったことを罪だと感じるのだ。私はその罰を負いたい。
兵士たちは十分な装備も、補給さえ、確保されぬまま、拡大する戦線の前線へと送られていった。行けばどうにかなるというていである。どうなるはずもない。私が、それを体を張ってでも止めるべきだったのだ。我が身を犠牲にしてでも止めるべきだったのだ。
積極的に責任を引き受けようとしなかったことが、私の罪である。たしかに、私は望んでトップにまつりあげられたわけではなかった。担ぎ上げられたとも言える。が、それは私がこの魂を持ちこの位置に生まれついたのと同じ、運命であり、責任であったのだ。巡りあわせであり、縁あって演じることになった役割だ。それに私の全責任があるはずであった。戦争前に、戦争中に、そう思い至らなかったことを悔いている』」 (pp.435-436)