Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

Z席で観るオペラ初体験@NNTT

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W.A.モーツァルト フィガロの結婚 Le Nozze di Figaro
(2003年10月10日プレミエ)
全4幕/イタリア語上演/字幕付
原作 P.A.ボーマルシェ『狂おしい1日、もしくはフィガロの結婚』
作曲 ヴォルフガング・アマーデウス・モーツァルト
2010年10月13日(水)/新国立劇場/午後2時開演・5時20分/4階左端後方Z席1.5K/★★★
スタッフ/キャスト(写真右参照)

とても人気があり、頻繁に上演される《フィガロの結婚》ではあるが、実演はこれまでに2回しか観ていない。最初に上野で観たザルツブルク音楽祭版の公演が意味不明で楽しめなかったせいか、ずっと敬遠していたということもあるが、今年3月に日程の関係でミュンヘンで観た公演は予想外に楽しめた。同じ演目でも演出(だけではないが)によってこんなにも違うものかと改めて思った次第。また、ミュンヘン公演の歌手に関しては、伯爵夫人(B.フリットリ)やスザンナ(Laura Tatulescu)よりもケルビーノ役のケイト・リンゼイが特に印象的ですばらしかった。《フィガロの結婚》は全体として主役が誰なのかよくわからないオペラだが、目立つのはやはりケルビーノ役だろう。ちなみに一説によると、(女好きの)ケルビーノの成人した将来の姿がドン・ジョバンニなのだとか。というわけで、今回のNNTTのホモキ演出版は2003年のプレミエ以来、何度も再演され(今回が3回目の再演)、初日の評判も(招聘歌手陣について)比較的よく、特にケルビーノ役のミヒャエラ・ゼーリンガー(動画)を絶賛する声も聞かれたので大いに楽しみにしていたのだが…。

先日、「天使とキューピッド」について書いたが、ケルビーノは明らかに天使ケルビムに由来するようだ。これを拡大解釈(?)したのが06年ザルツブルク音楽祭版の演出だったと思うが、これはあくまで特殊な演出にすぎず、今回のホモキ演出版ではケルビーノは「普通」のケルビーノだった。「普通」といっても、15歳ぐらいの少年の役を女性(メゾソプラノまたはソプラノ)が演じて、その上に女装もさせられるわけだから外見上は「異常」な役どころでもある。
プログラムの「制作ノート」によると、《フィガロの結婚》に限らず、モーツァルトのオペラで中心をなしているテーマは「エロスの問題、そして秩序とエロスの衝突」(p.6)とのこと。このテーマに従えば、ケルビーノの役が、秩序を混乱(崩壊)させる、いわば「倒錯の愛」の象徴として設定されていたとしても不思議ではない。しかしホモキ演出では、そこのところは特に弄っている様子はなく「普通」。演出上のコンセプトとしては、「崩壊」を主に舞台装置と衣装によって暗示的に描こうとしたようだ。
コンセプト自体はけっして悪くはないと思う。じじつ、舞台上の大道具は「引越し用のダンボール」と「衣装箪笥」のみという(色彩的にも)超シンプルなもので、これらがストーリーの進行によってさまざまな用途に変化してゆく「空間」は最後には傾斜して崩壊が暗示される。一方、衣装は一見して「歴史的衣装」が着用されるが「終わりに近づくにつれて、歴史的衣装は、その重要性を失い、最後には、自分の精神状態や衝動と戦う裸の人間のみを見ることになります。誰が伯爵で誰が召使かという人間の社会的地位の差を表す服装がなくなり、二人の人間は、本来の存在においては全く同じだということです。その差は社会的慣習によってのみあるものなのです。これがこの作品の核心で、人間性へのアピールであり、社会の見せかけの秩序からの決別でもあるのです」というのが演出家自身による解説。
たしかに、最後は誰が誰なのか、特に4階の遠い席からでは10倍のオペラグラスをもってしても識別不可能となっていたという点では演出家の狙いは成功していたのかもしれない。ただし、これは何の予備知識もなしに1回観ただけで容易に理解できる演出とは言えない。結局は「ドタバタ喜劇」として観られるのが関の山だろう。もし理解できる人がいれば、ほとんどモーツァルトに匹敵する天才に違いない。
by ka2ka55 | 2010-10-13 23:38 | 音楽 | Comments(0)