Das Notizbuch von ka2ka ― ka2kaの雑記帳

柳緑花紅

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呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉   長谷川かな女

「裏で芙蓉が咲いているから写真撮ったら?!」と家人に言われるままに撮った芙蓉の写真。ちょうどよく虫がとまったのでこれもついでに撮った。
30℃を優に超す猛暑の昼下がりに咲く花ではあるが暑苦しさがまったく感じられないのはなぜか。そう、暑苦しさを感じさせるのはすべて人工的なものばかり。オペラ然りである。しかもこの時期に《椿姫》や《ボエーム》を観に行く人の気が知れない(負け惜しみ)。
それはともかく、掲句を検索していたら興味深いサイトがヒットした。以下、その中の一文。
 常に家事に煩はされてゐる一家の主婦、健康の為めにおどおどしてゐる病人、老人、又は其日々々の生活に追はれ、人間仲間の激烈の競争に苦しめられてゐる青壮年の人々、それらの人々がすべて此俳句によつて四季のうつりかはりの上に興味を見出す様になつたならば、それらの人々は恰も宗教が人に安心立命の地を与へるやうに、又た此世に処して行く上に一種の慰安と興味とを見出し得る事になる。これは人生に対して少くない功徳であると思ふ。かう云ふ立場から考へると、俳句が上手とか下手とか、自分が作るとか作らぬとか云ふ事は末の議論であつて、上手であつても下手であつてもいゝ。作つても作らなくてもいゝ。俳句と云ふものを味ふことさへ出来ればいゝ。俳句を通じて四季のうつりかはりの上に、興味を持つ事さへ出来ればいゝ。と云ふ事になるのである。私はこの趣味に立脚しようとする一個の宗教、又た趣味を基礎とする一個の教育の上に重大な意義を見出すものである。本誌に婦人欄を設けてゐるのも、全くこゝに基づく事である。
(高浜虚子「春夏秋冬の移りかはりの趣味」『ホトトギス』大正7・9)

by ka2ka55 | 2010-08-02 02:07 | 自然 | Comments(0)